「なぜ左翼は社会を変えられなかったのか」と副題にある。「本書ではこういう日本的な左翼(中道左派)を"戦後リベラル"と呼ぶ。彼らは反戦・平和を至上目的とし、戦争について考えないことが平和を守ることだという錯覚が戦後70年、続いてきた」「彼らは戦後の論壇で主流だったが、何も変えることができなかった。全面講和も安保反対も大学解体も、スローガンで終わった」「団塊世代の特徴は新憲法バイアスである。生まれたのが終戦直後だから、戦争は絶対悪で、平和憲法は人類の理想だという教育を子供のころから受けた」「憲法を超える"空気"は、戦前も今も変わらない。それをかつて右翼は"国体"と呼んだが、戦後は"国民感情"に変わっただけだ」・・・・・・。そして、「今の日本で重要な政治的争点は、老人と若者、あるいは都市と地方といった負担の分配であり、問題は"大きな政府か小さな政府か"である」と結ぶ。
まさに私の戦後は、人生そのもの、全てである。たどった人生、出来事、思想を、そのまま思い起こしながら読んだ。
時代社会が変化していることを知らず、武士という特権意識に何の疑問ももたず安住する者。また名君気取りで質素の形だけに溺れ、見せかけの善政で体裁をつくろう者。信を寄せている訳でもなく、ただへつらい生きる者・・・・・・。そのなかで、恐れず、ぶれず、ためらわず、ただ心奥に秘めた一心の成就にかけた鬼と呼ばれた男がいた。財政難に喘ぐ豊後・羽根藩の改革断行に指名された多聞隼人。
「米一粒たりとも作らぬ武士こそ、悪人ということになる」「悪人とはおのれで何ひとつなさず、何も作らず、ひとの悪しきを謗り、自らを正しいとする者のことだ」「殿は名君にあらず、稀代の暗君である」「多聞様は自らが鬼となることで、まことの正と邪を明らかにされようとしていたのではないか」・・・・・・。
「多聞様は、世のひとを幸せにしたいと願って鬼になられたのです」――鬼と謗られる孤高の男の想いは誰も知らず。それを「蒼穹を、春雷がふるわせている」と結んでいる。
1945年の敗戦から1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効までの7年弱。現代日本の法的・政治的基盤は、まさにこの時に創られた。この時の重い苦渋の決断の数々が、今の日本の"国の形"をつくっている。当初占領政策は、日本の非軍事化・民主化の推進に置かれ、日本国憲法が誕生する。しかし、アメリカとソ連による冷戦が深刻化していくなか、民主的な「平和国家」の創設だけでなく、新たに日本を「親米反共」国家にすることが付加され、「経済復興」政策が推進されることになる。ドッジライン、朝鮮戦争、そして結ばれたサンフランシスコ講和条約は、日米安保条約とセットの締結となる。そのなかで「全面講和か単独講和か」は、世界の冷戦構造の深刻化のなか、いかに大きな国際政治の渦の中で行われた選択であったかを今改めて考える。
本書は「東京・ワシントン・沖縄」が副題となっているが、それぞれの国を背負っての決断の実像が描き出される。「憲法」「安保」「沖縄」「政党の生成と分裂」「労働運動」「経済復興論争とドッジライン」「東京裁判」「国際社会の中の日本」・・・・・・。まさに戦後70年、今後の日本を考える時、不可欠の7年弱といえる。2015年度読売・吉野作造賞受賞。
「先人に学ぶ防災」と副題にあり、「天災を勘定に入れて、日本史を読みなおす作業が必要とされているのではなかろうか。人間の力を過信せず、自然の力を考えに入れた時、我々の前に新しい視界がひらけてくる」「喪失はつらい。しかし、失うつらさのなかから未来の光を生み出さねばならぬと思う」という。古今の文書を調べ上げ、全国に足を運んで古い記録、古文書に当たる。その徹底した姿勢は驚嘆に値する。先人の知恵が浮かびあがる。
「秀吉と二つの地震――天正地震(地震に救われた家康)と伏見地震」「宝永地震が招いた津波と富士山噴火」「土砂崩れ・高潮と日本人」「佐賀藩を"軍事大国"に変えたシーボルト台風」・・・・・・。
昭和8年三陸大津波という地獄を見て、岩手県普代村の村長・和村幸得さんは周囲の反対を押し切って15.5mの防潮堤を築き、今回の東日本大震災で死者を防ぐことになった。その回想録「貧乏との戦い40年」にふれつつ、「教訓は、過去の災害の大きさを参考に、自然と人間の力量の境目を冷徹にみよ、自然に逆らわぬ防災工事をすすめよ。この二つではなかろうか」と結んでいる。すぐれた蓄積の書だ。