半沢直樹――「顧客を優先し、自らの地位さえ顧みない肝のすわった仕事ぶり。知恵と努力で相手を上回り、僅かな糸口から事態を逆転に導く手腕」「どんな場所であっても、また大銀行の看板を失っても輝く人材こそ本物だ。真に優秀な人材とはそういうものなんじゃないか」「自らのサラリーマン人生を賭した。その結果、どんな事態が降りかかろうとも、半沢は決して後悔などしない。その信念と、潔さこそ、半沢直樹という男の真骨頂だ」「人事が怖くてサラリーマンが務まるか」......。
東京セントラル証券に無念の出向となった半沢はIT企業の買収を担当する。そこに立ちふさがったのが、なんと親会社の東京中央銀行だった。団塊の世代、バブル世代、ロスジェネ世代。それぞれに社会と組織の見方は確かに違うが、それをグチるのではなく、世代を突き抜けて戦え――半沢の魅力が本著でもあふれ出ている。半沢直樹シリーズの最新作。
11月13日、長野県飯田市の牧野光朗市長が国土交通大臣室に来られ、要請を受けました。飯田市はリニア中央新幹線の駅が設置される予定。2027年の開業に向けて道路整備など地域の課題について、意見交換しました。
その際、飯田東中学校の生徒さんからのリンゴをいただきました。真っ赤で甘い香りがするリンゴです。今年は、昭和28年にリンゴ並木が植樹されて60周年。リンゴ並木は飯田市のシンボルになっています。私は中学3年の豊橋市立青陵中学校の生徒会長の時、このリンゴ並木の話に感動し、地元に夏ミカン並木を提案し、実現しました。その後、それが縁で、両校で姉妹校の交流も始まりました。
生徒さんから直筆の手紙もいただき、感激しました。本当にうれしい中学生からの真心の贈りものでした。
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11月9日、午前中の茨城県での津波防災訓練を終えて鹿児島県の奄美大島に飛び、「奄美群島日本復帰60周年記念式典」に出席。10日は、群島内12市町村の首長、議長などとの懇談会を行い、観光資源や産業、地域づくりの現場の視察も行いました。
奄美は戦後米軍の統治下に置かれましたが、島民や島出身者が強く復帰運動を展開し、昭和28年12月25日に日本復帰が実現しました。復帰のために島民が断食したり、「日本復帰の歌」(式典で小学5年生の安大智君がピアノを弾きながら熱唱。感動的でした)が歌われるなど、日本人、日本国民であることを努力して勝ち取ってきた歴史があるだけに、郷土への強い思いを感じます。
式典は全国から多くの関係者が出席して盛大に開催。私は、「来年3月に期限を迎える奄美群島振興開発特別措置法を確実に延長させる。新たな交付金制度も実現に向けて努力している」と祝辞を述べました。
奄美の観光資源は魅力的。琉球と一体となって世界自然遺産登録を目指し、進んでいます。アマミノクロウサギなどが生息する金作原(きんさくばる)原生林を視察しましたが、高さ10mにもなるヒカゲヘゴが茂る森は美しく幻想的でした。
産業では、島のサトウキビから作った黒糖を使った焼酎は奄美独特のもので、製造工場を視察しました。また、情報通信産業インキュベート施設には、技術を持った企業が東京などから移ってきています。ITによって、距離よりも場所を優先する時代が始まっています。熱心に地域づくりに取り組んでいる多くの方々と懇談しました。
来年は特別措置法の延長をはじめとして奄美にとって節目となる大事な年です。しっかり取り組みます。
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11月9日午前、茨城県ひたちなか市で国交省や茨城県などが主催する「大規模津波・地震防災総合訓練」を行いました。
11月5日は「津波防災の日」。安政南海地震(1854年)の津波の際に稲に火をつけて人々を高台に避難させた「稲むらの火」の逸話(濱口 梧陵)にちなんだものです。
訓練会場の常陸那珂港は、東日本大震災でも5.4mの津波が押し寄せ、大きな被害が出ました。今回の訓練は、三陸沖から房総沖で大規模地震が発生し、10.7mの津波襲来という想定で実施。国、県、市のほか、港や周辺の企業で働く人など154の機関や団体から約1400人が参加、隣接の会場で開かれる防災フェアと合わせると約1万人参加の大規模なものです。
国交省も、北海道、東北、関東、北陸、中部、中国の各地方整備局からのTEC-FORCE(緊急災害対策派遣隊)や海上保安庁、気象庁など約200人が集結、情報収集や道路啓開に当たりました。
津波に対しては、まず逃げること、そして連携が大事です。今回の訓練は、陸上と海上、そして空からとの連携を実際に行い、対応を確認しました。
これからも命を守る防災対策にしっかり取り組みます。
