桂太郎は三度にわたって内閣を組織し、在任期間は歴代最長の2886日、約8年に及ぶ。
日露戦争、韓国併合――まさに世界の激動のなかで想像を絶する難しいカジとりであったと思う。加えて伊藤博文や山県有朋などの元老に続く派閥1.5世代としての苦労もある。そして社会も大きく変化するなかで民衆運動が動きを始め、政党の結成、大正デモクラシーへと時代は進む。
副題にある「外に帝国主義、内に立憲主義」を断行し、軍人でありながら拡大を余儀なくされる軍の予算を抑制し、緊縮財政に力を注ぐ。藩閥や軍を超え国家全体の利益をバランスよく見る政治家であったがゆえに、困難な時代を、結局託されることになったのであろう。
世界史的な激動、しかも国内の政治体制は確立されていない――こんななかで調整型、協調型政治家といわれる桂太郎だが、柔軟な対応ができたこと自体に凄みを感ずる。桂太郎研究の中身がギッシリ詰まっている本書だが、時折りはさまれる桂太郎の肉声、気負い、つぶやきも面白い。
現代文明の病――それはニヒリズムであり、ニヒリズムはヨーロッパの歴史そのものだ、と佐伯氏は言う。
それではニヒリズムとは何か。それは至高の諸価値がその価値を剥奪されて無意味となることであり、最高の諸価値の崩落である。ニーチェは、世界の虚構性を暴き、統一の崩落、目的の崩落、真理の崩落の3つをニヒリズムの形態としてあげる。その崩落感を避けようとすれば、意味を問わない、物事の底を問うなということになる。しかし、人は無価値の世界に住むことはできないがゆえに、生命尊重主義、自由平等、個性の尊重など新たなフィクションをつくり出す。
20世紀に入り、近代の超克が、問題となったが、ハイデガーは「存在するもの(存在者)」に意味を与えようとする。死を先取りした現在の意味付け、決断だ。一方、日本の思想は西欧は有、存在の思想に対して無の思想だ。無が存在を支えているがゆえに、我々は深刻なニヒリズムに陥ることはない。佐伯さんは日本思想のもつ可能性を示す。
本書は「ニヒリズムをめぐる京大生との対話」という副題をもち、マイケル・サンデルの白熱授業に類して学生との対話を行なっているが、奥行きは東洋思想にも及ぶだけに深い。
私は、「有と無」で「空」、「存在と時間」で「常住と無常の法」に思考が及ぶ。ニーチェは"客観的真実は存在しない。あるのは1人1人の解釈(どう意味をもたせるか)である"というが、それには意識と無意識、仏法の九識論を考える。
こんにちは、太田あきひろです。
7月7日、七夕の諸行事が行われるなか、JA東京スマイルの花と野菜の即売会が足立区・舎人公園で催され、賑わいをみせました。とりたての野菜、それらでつくった食品などを求めて、行列ができましたが、あわせて品評会(審査)も行われました。近くでつくられた野菜等はじつにみずみずしく生命力があり、心まで元気づきます。
農業といえばコメを中心とした農政に片寄りがちですが、新鮮で安全・安心の農産物を供給する都市農業はきわめて重要。生産においても、環境においても、持続的循環型の地域の安定した発展においても、防災においても、また地産地消ということでも大切です。しかし都市部で農業に携わっている方々は、都市化、農政無策、生産緑地における相続税問題などで本当に大変ななかで歯を食いしばって頑張っているのが現状です。政治が力を注がなければなりません。頑張ります。
