名字と日本人.JPG29万種といわれる日本人の名字。

古代の農民は大伴部、日下部などの姓をもっていたが、鈴木、佐藤といった武士が広めた名字を代々伝えるようになった。

名字の発生は平安時代の末、武士の登場と鎌倉幕府の成立にかかわる日本史上の重要な出来事である。

「氏」「姓」「名字」「苗字」・・・・・・。

北条時政の名字は「北条」、姓は「平朝臣」、つまり朝廷の公式の行事の場では「平朝臣時政」となる。

全国の名字を調べあげ、それはまた日本の歴史そのものを調べあげるという大変な仕事を武光さんはやってくれている。


漢字の相談室.JPGのサムネイル画像「漢字は漢の時代より千年も前から使われ、漢というのは、漢民族の漢」、道とか近は私は「しんにゅう」と習ってきたが、「二点しんにょうが伝統的には正しかった」「虹・蛸・蛤などはムシヘンでは変な感じがするが、虫は『むし』ではなく『マムシ』という動物を表す漢字だった」―などなど。

漢字クイズなどがデレビをにぎわしているが、阿辻さんは、そんな次元とは異にして徹底して学問的に調べあげている。すごい。最後に「知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなす、これ知るなり」(論語)をあげ、未解明の領域に迫力をもって迫っている。

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忘れられた日本人.JPG宮本常一(つねいち)氏は、1907年(明治40年)の生まれ。昭和14年以来、全国の離島や辺地をくまなく歩き、独自の民俗学を築いた。

文化を築き支えてきた伝承者・老人達自身が語ることを、丁寧に克明に描き、生き生きと蘇らせている。1960年の本で、宮本民俗学の結晶だ。

私の生まれたすぐ近くの北設楽郡旧名倉村が「名倉談義」として出てくるが、地名も土地柄もなるほどと思わせるもので、当時の田舎の生活そのものが描き出されている。民衆史、民俗学そのものだ。

「私の一ばん知りたいことは今日の文化をきずきあげて来た生産者のエネルギーというものが、どういう人間関係や環境の中から生まれ出て来たかということである」と宮本氏はいう。

「中央的・権威的な匂いのする既成の民俗学に抗して、泥にまみれた庶民の生活そのものの中に、人の生きる明るさ、たくましさをとらえようとする宮本氏の民俗学」(網野善彦氏)だ。

多くの人が圧倒的に基本にすえるすぐれた一書だ。


太田あきひろです。

台風一過、スポーツの秋、文化・芸術の秋の到来です。

地元北区・足立区では、数多くの小学校の運動会や町会の行事が行われました。50メートル・100メートル走、騎馬戦、綱引きなど、力いっぱいの競争が雲一つない青空にまで響きました。

そんな中で「第6回アジアの子供の夢舞台」(同実行委員会と北区等の共催)が今年も盛大に行われました。ネパール、香港、アフガニスタン、台湾と地元北区の子どもたちがそれぞれの国の舞踊等を演じ、感動をよびました。海外の子どもたちが芸術を通じて交流していくことが、いかに大事なことか。

「教育の深さこそ未来の社会を決定する」――教育を語る政治家が少なすぎます。そのためにもスポーツや文化・芸術の振興が大事です。

景気・経済、社会保障は喫緊の課題ですが、こうした教育の推進等に力を入れなければ日本の未来はありません。頑張ります。


修身論.jpg「修身」だけでなく「愛国心」「自由・平等」「家族」「ゆとり教育といじめ」「人間は生産を通じてしか附合えない。消費は人を孤独に陥れる(福田恒存)」「ケータイ」「"魂"をつくる教育」「平凡に胸を張る勇気」「勝間和代でも香山リカでもない生き方」・・・。

小林さんのゴーマニズム宣言は、わが国に常につきまとう哲学不在、思考停止、それゆえにイデオロギー(主義)に振り回され浮遊する人間と社会を根源的に突いている。

「ごーまんかましてよかですか?」と言われれば「勿論」だ。


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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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