名著「タテ社会の人間関係」が著されて52年。現代日本の長時間労働、非正規雇用、天下り、いじめ、女性活躍社会・・・・・・。「タテ」の現場からそれらをどう見るか、何が必要か、を解き明かす。「長時間労働やいじめの問題などが報じられるたびに、私は『タテ』の強固さを感じていました。『タテ』には良いところがあります。しかし一方で、タテのもつ封鎖性が現実に問題を引き起こしています」「一つの場に個人が所属する。できることなら一つの場にずっと属しつづけたい。それが日本の特徴だが、場は一つとは限らない。・・・・・・日本のタテ社会は、どうしてもネットワークの弱さを抱えている。その弱さをいかに補完していくか、複数の居場所をいかに見つけていくか、高齢化が進む現在、そうしたことを考える時期にきていると思います」と語る。
「どの社会においても、資格による社会集団と場による社会集団がある。日本人は極端なほど場を優先し、インド人は資格を優先する」「場に来た順番、先輩・後輩の関係を重んじるのが日本人」「場を共有するタテの関係で核心といえるのが小集団。日本の社会構造は、小集団が数珠つなぎになっていることと、その小集団が封鎖的になっているということ。小集団とは集団の成員が毎日顔を合わせるぐらいのフェイスツーフェイスの集団だ」「個人は小集団を通して、大集団に属することになる。その小集団の機能がきわめて強く、逆に大集団としての機能は強くない」「小集団への帰属意識がきわめて強く、その小集団の封鎖性と大きく関わるのが"感情"で、エモーショナルな結び付きだ(個人の優秀さより成員の"体感"、論理よりも感情を優先する社会)(ウチとソトの意識がはっきりしてくる)」「タテのシステムから出てくる年功序列。天下りもタテの先輩・後輩から発生する(資格でつながるイギリスのような社会は階層でつながるネットワークシステム)」「正規・非正規雇用も、日本人の場を重んじる、先行して得たステータスを維持したいことに関係する」「宴席の席順も家の格も。長時間労働も法よりも小集団の感情優先」「新入りはヒエラルキーの最下層、新しい者は低く見られる。いじめも」「小集団を前提とした日本の弊害をなくすためには、閉鎖的、封鎖的という部分を意識的に変える、大きな集団を志向する必要性がある(会社でもいくつかの業種を包含する)」・・・・・・。
附録として「日本的社会構造の発見―単一社会の理論」(中央公論1964年5月号)が掲載されている。
6年前に住民がいなくなった南はかま市の簑石という集落。この無人となった簑石に新しい定住者を募る市長肝いりの南はかま市Iターン支援推進プロジェクトが始まった。その「甦り課」を担うのは、さばけた新人・観山遊香、出世志向の真面目な公務員・万願寺邦和、やる気の全く見えない課長・西野秀嗣の3人。
募集するやまず2世帯が移住する。しかし隣同士のトラブルで去っていく。次に10世帯が移住してくる。ところが、事業を起こそうとした稚鯉が突然消えたり、未就学児が迷子となり、防空壕に入って重い本の下敷きになったり、毒キノコの食中毒事件があったりと、次々と不可解な事件やトラブルが発生。ついに全員が去って再び無人となってしまう。話題を呼んだ「満願」を想起するミステリー連作短篇集だ。
しかし、この背景には村が消えていくという過疎化の深刻な現実がある。都市に住む者の地方への郷愁。自然への回帰。土地への愛着とは何か。一方で、人口急減の限界集落の深刻さ。夢だけでは田舎に住めない。仕事の問題もある。隣人とのトラブルもある。全ての生活インフラ整備にまで予算をかけられない地方行政の現実・・・・・・。本書は個々のトラブルが「Iの喜劇」であったことを終章で謎解きをするが、全体を覆うのは間違いなく「Iの悲劇」だ。
「資本主義の終わりか、人間の終焉か?」が副題。今を「未来への大分岐」と危機感をもって把える。斎藤幸平氏と「なぜ世界は存在しないのか」の哲学者マルクス・ガブリエルと新しい権力との対峙を社会運動のなかで模索する政治哲学者マイケル・ハート、ポストキャピタリズムを展開する経済ジャーナリスト・ポール・メイソンの3人との対談。きわめてラジカルな討論だ。しかし、世界的な経済低迷、国家負債の増大、気候変化と災害の激化、AI時代とGAFAの跳梁と支配、先進諸国における格差の拡大と貧困化、トランプ現象、民主主義の機能不全などをどう脱出するか。世界の「大分岐の時代」と把え、分析し、模索する。カール・マルクスの問いかけたものも語る。
マイケル・ハートは「電力や水、知識や情報、自然や地球という環境そのものを<コモン>として資本の支配から取り戻し、自分たちで管理していく」「民主主義を危機から救い出すためには<コモン>を自分たちのものとして共同決定していく経験こそ鍵になる」「上からの社会変革ではなく、下からのコミュニズム。苦しみや欲求を分かち合う連帯によって新しい未来をつくる」という。マルクス・ガブリエルは「『ポスト真実』とは『客観的な事実』の危機であり、相対主義の時代であり、それは事実があるところで事実を見ないという民主主義にとって危険な考え方である」「フェイクがあふれ、プロパガンダがあふれ、客観的事実が軽視される社会となっている」「私たちが『人権』と呼ぶ普遍的価値の唯一の基盤が切り崩されてはならない」「新実在論で民主主義を取り戻す」「世界は存在しない、ユニコーンは存在する。人間の尊厳は現実にあらゆる人間に属しており、人権も存在する」「未来への大分岐――環境危機とサイバー独裁」「危機の時代の哲学、事実を真摯に受け止めて態度調整をするための哲学的土台を提供するのが新実在論。それは『ポスト真実』と相対主義に終止符を打つ宣言だ」という。ポール・メイソンは「資本主義は情報テクノロジーによって崩壊する。成長の鈍化と生産力の過剰、利潤率の低下は明白」「ポストキャピタリズムと労働。人間が強制労働そのものから解放される"可能性の世紀"に私たちはいる。持続可能な協同型経済の完成形がポストキャピタリズム。しかし、これに抵抗する資本の動きが市場独占、プラットフォーム資本主義、ブルシット・ジョブなどで顕著だ」「ポストキャピタリズムの未来に向け、独占の禁止、再生エネルギー100%の道、AIの暴走阻止への普遍的原理たるヒューマニズムの確立、利潤だけを追求するのではない下からの社会的協働の活発化」などを提唱する。
「メイソンやガブリエルは、非人間化に対抗して、『人間とは何か』をいうことを明らかにしながら、普遍的人権や普遍的価値を積極的に擁護するヒューマニズムの立場に移行している」と斎藤氏は語る。