我らが少女A.jpg上池袋のアパートで、若い女性・上田朱美が同居人の男に殺害される。そして男は、「同棲を始めたころ、朱美が使い古しの絵の具のチューブを一つ見せて、何年か前に武蔵野の野川公園で殺された人が持っていたものだ、その場所に落ちていたから拾った、などと言いだしたことがある」という。12年前の2005年12月25日、クリスマスの朝、元中学校美術教師であった栂野節子が日課としている公園での写生中に殺害された"野川事件"。少女A(朱美)が何らかで関係しているのではないかと捜査に当たった合田雄一郎は感じていたが、迷宮入りとなっていた。再び刑事たちが動き出し、孫の栂野真弓(結婚して佐倉)、その母・雪子、朱美の母・亜沙子や友人の小野雄太、浅井忍などが聴取される。しかし、解明には程遠いものばかりだった。そのなかで当時、忍が撮った写真が明らかになる。その写真を見ながら関係者の記憶の断片が想い起こされるとともに、当時の家庭内や友人関係の昏い日々が溶け出してくる。

その揺れ動く心象風景を描き続けるキメ細やかで力ある筆致には感嘆する。人それぞれの心の闇の深さはわからない。友人といっても、家族といっても、その外側には必ず自分の知らない世界が広がっている。自分の知っていると思っていた世界は、実際には事実のほんの一部でしかない。だからこそ「我らが少女A」ということだ。この「外側の自分の知らない世界」を探るのに、12年経った今、ネットやフェイスブック、SNS、インスタグラムが大きな役割を果たす。関係者間の連絡はスピーディで情報は共有されていく。捜査対象がどんどん情報を交換してしまう社会が今だ。加えて、家庭内には他者にはうかがい知れない亀裂と闇とイライラ、「大人の人生の何という薄昏さ」が描き出される。「祖母の存在は家のなかに気難しい教師が一人同居しているようなものだったが、最近は自分のほうに後ろめたいこと(喫煙など)がいくつもあるせいで、苦手意識に拍車がかかっている」と孫の真弓は語る・・・・・・。


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26、27の土日――。地元では「福祉作業所のお祭り」「小学校の周年行事」「板橋市場のオータムフェスタ」「町会の運動会」「柔道大会」「ボーイスカウトフェスタ」「 特養のお祭り」「 豊島区消防団点検」などが行われ、私も参加しました。

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どの行事に参加しても、台風や大雨による水害、そして、土砂災害等への不安な声をお聞きました。

多くの方が不安を感じるなか、「街を元気に」「人を元気に」と行事を催してくださる役員の皆様にも本当に感謝です。

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25日、愛知県名古屋市で行われた、里見りゅうじ参院議員の「里見会総会」に出席し、あいさつをしました。これには、地元名古屋の自民党国会議員をはじめ、大村秀章・愛知県知事、坪井明治・全国商店街政治連盟会長、川口文夫・中部経済連合会名誉会長等、地元の有力者が出席しました。

私は「日本は今、AI・IoT・ロボットなどの新しい情報社会、少子高齢化、新しいステージの自然災害など、大きな構造改革の節目に直面している」「特に、最近の自然災害は、50年とか100年に一度というレベルではなく、今回の台風19号のように明らかに激甚化・広域化していて、これに対応した新たな防災・減災対策が早急に必要だ」「里見りゅうじさんは、これまで培ってきた厚生労働行政に加え、国土交通行政にも抜群の手腕を発揮しており、党の新しいリーダーとしてさらに飛躍することを確信している」などと挨拶をしました。


のっけから失礼します.jpg「まほろ駅前多田便利軒」も「舟を編む」も「ののはな通信」も、ずいぶん作風が違うと思っていたが、本書を読んで納得した。発想も行動も言葉づかいも、きわめて生命力豊かで自由自在。まさに「ありふれているのに"奇想天外"な日常が綴られるエッセイ集」だ。面白い。生きている。生命力豊かで、日常を自由自在に翻弄している。

単調のような日常でも驚きも新発見も笑いも喜びも怒りもある。本書に出てくる「緑のインコ」「歯痛」「愛する自転車」「読書」「酷暑」「花粉症」「宝塚」「梅ヶ枝餅」「映画やアニメ」「すれちがい」「ぎっくり腰」「積雪」――。私自身も体験してきた日常だが、とらえる感性、ユーモアには凄みがある。自分でも「今頃になって咲き誇るベランダの朝顔」「どうしてタピオカブーム」「クーラーが壊れた」とかの出来事に「豊かな日常」があるように思えてくる。ちなみに私は本書に出てくる「下唇の下に紙を挟めるひと(しゃべれないが)」です。


ふしぎな鉄道路線.jpg「『戦争』と『地形』で解きほぐす」が副題。明治5年9月12日(太陽暦では10月14日=この日が鉄道の日となった)、新橋・横浜間の開業、明治7年5月11日に大阪・神戸間の鉄道開業。東京から東海道線が走り、やがて山陽本線が続いたと思っていたがとんでもない。明治初期、東京と西京(京都)を結ぶ「両京線」として構想されていたルートは東海道ではなく中山道であった。そして新橋・横浜間も、東海道線の一部として開業したのではなく、中山道幹線の荷揚用支線という性格をもっていたという。とくに軍部は艦砲射撃を恐れて、海寄りの鉄道敷設に反対、内陸を選択しようとした。しかし内陸部には急峻な山があり、難工事が予想され、建設費も多額を要する。本書では、路線の選択に激しい攻防があり、まさに「戦争」と「地形」で「なぜこんな鉄道路線がとられるに至ったか」を解明する。抜群に面白い。

「西南戦争と両京幹線――なぜ中山道ではなく東海道ルートの運転となったか」「海岸線問題と奥羽の鉄道――なぜ奥羽本線は福島から分かれているか(児玉源太郎の大演説と渋沢栄一の反撃)」「軍港と短距離路線――なぜ横須賀線はトンネルが多いか」「陸軍用地と都心延伸――なぜ中央線は御料地を通ることができたか(北線と南線)」「日清戦争と山陽鉄道――なぜ山陽本線に急勾配の難所があるのか」「日露戦争と仮線路――なぜ九州の巨大駅は幻と消えたか(8日間だけの軍用停車場)」「鉄道聯隊と演習線――なぜ新京成線は曲がりくねっているか」「総力戦と鉄道構想――なぜ弾丸列車は新幹線として蘇ったか」――。

日本の近代史と鉄道路線がこれほど関係していることに驚嘆する。同時に、明治の後半、なんと激しく全国の鉄道路線が建設されたか、感心するばかりだ。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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