1968年12月10日、東京府中市で起きた三億円強奪事件。50年が経過し、犯人が告白文を発表する、という小説。
当時、大学2年だった実行犯の白田。計画を共に策謀する昔からの友人・省吾。そして恋人の橋本京子、三神千晶。60年安保が過ぎ、あの頃は再び大学は学生運動の渦中にあった。日本も1964年の東京オリンピックを終え、高度成長の勢いとともに、新しく迎える社会への希望と不安が交錯していた。若者はエネルギーもあり、"青春"を模索していた。
そんななか、「生きる証」「命を賭けても友情を貫こうとした意思」「奔流となる社会のなかでかき消される個人、それゆえの自らの決断」――府中三億円事件をそのように"金銭欲"ではないと想定して描いたもの。意表をついた"小説"。
6月3日、愛知県新城市で行われた「衆議院議員 今枝宗一郎後援会総会」に出席し、挨拶をしました。これには、今枝宗一郎・衆院議員、安江のぶお・参院選愛知選挙区予定候補(自民党推薦)、穂積亮次・新城市長、伊藤渉・衆院議員、自民党の愛知県議・市議、新城市の有力者らが出席しました。
私は「日本のほぼ中心地に位置する三河地方、とりわけ新城市は、三遠南信道路、新東名高速道路など、道路インフラが整備され、農業・林業など従来の中心産業と一体となって、益々発展していくことが期待されている。私自身も尽力していく決意だ」「不安定化する国際情勢のもと、各国が自国優先主義に傾くなか、自公政権による政治の舵取りにより、日本を世界的に重要なポジションに押し上げている」「全世代型社会保障が今や国政の柱になっており、なかでも、幼児教育・高校授業料・高等教育の無償化が実現。さらに、最低賃金を上げるなど、給料がいい、休暇がある、希望がある、の新しい3Kの職場社会をつくっていくことが大事」などと訴えました。
安江のぶお候補は「これまでも弁護士として取り組んできた経験を、今度は政治家として、生活者、中小企業に寄り添った政策を、愛知県のために実現していきたい」と決意を述べました。
一高の紋章・橄欖と柏。橄欖は文の神・ミネルヴァで、柏が武の神・マルスで「文武両道を修めよ」との意味をもつ。岸は「やはり武よりは文、マルスよりはミネルヴァこそが先導しなけりゃならん」と椎名悦三郎にいう。「椎名は省内一仕事ができると見なされ、花道を歩いている岸をうらやんでいた。男の嫉妬ほど厄介なものはない――」「人にとって一番大事なのは、『人に遭う』ということなのかもしれんな」と先輩は椎名にいう。
しかし、"花道を歩む"といっても一生は波瀾万丈。関東軍が支配する満洲に赴任、"二キ三スケ"と呼ばれるが、「岸は、清廉潔白だが仕事ができない者より、叩けば埃が出る身ながら天下国家のためになる仕事をする者の方が偉いのではないかと思っていた」。戦争は泥沼化し、昭和14年10月、日本に帰り、政変に次ぐ政変、激震のなか政治家として立つ。国家の死命を決する岐路。"喧嘩師"岸は激しくぶつかりながら闘いの日々、東條内閣が成立し、44歳の岸は商工大臣となる。激しい権力闘争、19年7月東條内閣総辞職。敗戦。巣鴨プリズン、A級戦犯、幽囚の日々。GHQ、憲法制定過程、吉田茂、朝鮮戦争、サンフランシスコ平和条約と欠陥多き日米安保条約。そして激しい政争と離合集散、保守合同。鳩山内閣の"北方領土問題"と米国・ダレス、訪米する岸。そして岸内閣、安保改定。池田内閣、佐藤内閣、田中内閣に対しての岸の思い。30年代初頭からは私の記憶に鮮明にあり、エピソードも聞いているものもあり、生々しい。
超絶の歴史大変動のなかで、「日本を背負う」政治リーダーが、心身ともに切り刻まれるなか何を思い、どう決断し行動したか――。さまざまな思いが交差し、乱反射する。