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今年は日中平和友好条約締結から40周年──。8月1日、憲政記念館で日中文化芸術祭の「日中名家書画展」「青少年書画展」のオープニングセレモニーが行われました。これには、国会議員、日中友好で貢献してきた両国の関係者、日中の子どもたちが参加をしました。

私は挨拶で、「今年は日中平和友好条約締結40周年にあたり、このように文化芸術祭・書画展が開かれたことをお祝いしたい」「これまでも日中関係は山もあり谷もあったが人と人との関係でその苦難を乗り越えてきた。その中でも文化、スポーツ、芸術、青年の交流が非常に大事だと痛感している」「この催しを期に日中関係がさらに大きく繋がっていくよう期待している」と述べました。


星夜航行  飯島和一著 上.jpg星夜航行  飯島和一著 下.jpg秀吉の野望と妄想に始まった朝鮮出兵、明国征伐――。それを止めることが全くできず意見すら言えない家臣ら。具申できるはずの秀長、千利休の死。保身のために対馬宗家の作為を虚偽であると上申できなかった小西行長らの繰り返される隠蔽工作。虚偽は虚偽を呼び、暴走は各大名のみならず日本と朝鮮の全てを飲み尽くす。修羅に巻き込まれ、田畑をもなぎ倒されていく無辜の民は無間地獄に突き落とされる。秀吉の死によってやっと終結する朝鮮出兵だが、武士は帰還しても民草は残される。まさに狂乱と地獄の天正、文禄、慶長の1580年代後半からの10年――。風雨激しき日も晴天の日も、信念を曲げずに一定の軌道で民草の地面(三河、堺、薩摩、博多、ルソン、朝鮮)を歩き抜いた徳川家の旧臣、しかも不遇の死を迎えた嫡男・徳川三郎信康の小姓衆であった佐橋甚五郎の人生が描かれる。一筋の道を歩む「星夜航行」だ。

三郎信康の死、冤罪を受けての出奔、商人への転身、九州・ルソンで遭遇するイスパニア対ポルトガルの争覇、秀吉の"バテレン追放令"とサン・フェリーぺ号事件や日本26聖人殉教、加藤清正等と行長・三成らの確執、"死んだふり"をしながら利根川東遷や伊豆金山を探掘し力を蓄える家康・・・・・・。なんと"関ケ原"の後に甚五郎は、家康の前に朝鮮の使節となって姿を現わす。

「甚五郎はうなずいた。武家に生まれた者が物心ついてまず教えられるのは『望みや願いを一切持つな』『生への執着を絶て』ということだった。戦場での生き死には、己の意志や力などではどうにもならないのだから、すべて天運に委ね預けるしかないものだった」――。諦観と自身の道に生きること、そして生きることに誠実、精神の自由を保持すること。民草の視座から未曾有の狂気と戦乱の時代を生きた男の清冽な姿、実に丁寧に迫力をもって描いている大変な力作だ。


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7月30日、群馬県で行われた公明党群馬県本部夏季議員研修会に出席しあいさつをしました。これには、大沢正明群馬県知事、岡本三成衆議院議員らが出席しました。

私は挨拶で「命を守る公明党として、タイムライン、ハザードマップなどを具体的に点検することだ。その地域にあった新たな防災・減災施策を議員が知恵を出していかなくてはならない」「来年の統一地方選、参院選に向けたこの1年、全議員が日々一人でも多くの人と会い、地域のニーズに即座に手を打ち、実績を実現していくことが大事」「議員はその地域の中心は自分しかいない太陽のような存在であり、その自覚を持って、支援して下さる方々に喜んでいただける動きをしなくてはならない」などと挨拶をしました。

議員研修会に先立ち、大沢知事と懇談をし、群馬県の現状と課題などについて意見交換をしました。


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台風12号が通りすぎた29日、地元では、強い陽射しのなか多くの行事が行われました。

「トレセン通りウォーク・スポーツフェスタ」「子ども祭り」「流しそうめん大会」「町会・自治会・商店街の盆踊りや納涼祭」など10ヶ所以上に参加しました。

「トレセン通りウォーク・スポーツフェスタ」では、北京五輪・陸上4×100mリレー銅メダリストの朝原宣治さんやロンドン五輪・競泳4×100メドレーリレーの銅メダリストの上田春佳さん(北区スポーツ大使)など、アスリートの方々も参加。会場には未来のアスリートをめざす多くの子どもたちも参加し、大変に盛り上がりました。

ながしそうめん 180729①.jpg  盆踊り 180729.jpg 

そのほか各会場とも夏休みを楽しもうと、たくさんのご家族連れの方が参加されており、挨拶・懇談をしました。

またこの日、JR板橋駅に待望のエスカレーターが設置・稼働となり、宮島修区議(北区)と共に視察しました。駅利用者の方々に喜びの声が広がりました。

板橋駅 180729.jpg


西郷隆盛.jpg西郷隆盛については、あまたの研究があり、語り尽くされている。家近さんにも大著がある。本書はそのうえで、素朴な「なぜ」を「西郷自身の人物」「周りの人々」「時代」等から突きつけて迫る。「なぜ辺境ともいえる薩摩か」「薩摩藩内の真の主役は誰か」「なぜ西郷が"図抜けた存在"になったか」「なぜ大久保と確執をもち、なぜ自滅したか」等だ。

西郷の評価は、「小さなことには拘泥しない泰然自若、清濁あわせもつ大人物」と定まっている感がある。しかし、そのイメージとは落差があるという。「誠実・無私・情義に篤い胆のすわった人物」は間違いないが、「繊細かつ律儀」「都会的でエレガント」「人目をはばからず涙を流し、人の好き嫌も激しい」「神経が細やかでストレスに悩まされる」「相手との駆け引きを楽しむ」「結構用心深い」などだ。そして感受性や庶民との同苦は生来のものではあったが、「沖永良部への流島」が思慮深く、志操堅固な西郷に変身させたという。

そして西郷をめぐる7つの"謎"に迫る。「なぜ早い段階で自決しなかったのか」「なぜ商人肌の人物を嫌ったのか」「なぜ写真が残されていないのか」「なぜ無類の犬好きとなったのか」「なぜ徳川慶喜を過大評価したのか」「なぜ庄内藩に対して寛大な措置を講じたのか」「立憲制の導入や共和政治をどう考えていたか」――。

加えて「西郷に代わる存在となりえた人物」「西郷の人格と周辺のライバルたち」などが、簡潔にまとめられているのは大変面白く、"西郷像"が浮き彫りにされる。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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