真夏のような暑さとなった7日、地元では「第26回全国さくらサミットin豊島」「第13回東京よさこいin大塚」「町会連合会や幼稚園の運動会」「入谷住区センターふれあい祭り」「祭礼」などが行われ、参加しました。
今年の全国さくらサミットは、豊島区が開催都市。サミットは豊島庁舎で行われ、「さくら」によるまちづくりを推進する16自治体が一堂に会しました。自治体間の情報交換、自治体における「さくら」の活用方法などの討議や、活動紹介・講演が行われました。
私は、「観光は『見るもの』『食べもの』『買いもの』をブラッシュアップすることが大事」「『見るもの』には景色だけでなく、文化や伝統も含まれる。各都市でさくらの奥にある文化や歴史、伝統の深みをアピールし発信してほしい」と挨拶しました。
この日も各会場で多くの方と挨拶・懇談をしました。
日本史というと、「武将の武勇伝」や「英雄の物語」にどうしても偏る。その時、民衆はどう生きたのか。いつも「戦争の被害者」か。それだけではない「たくましい民衆」の姿、「生き延びる民衆」「加害者としての民衆」「チャンスとしての戦乱」の姿を、国際日本文化研究センターの学者が、語り、討論する。面白い。
日本史上、最大の敗戦である「白村江の戦いと民衆」(倉本一宏氏)――。唐の軍勢は国家軍、倭国軍は豪族軍の寄せ集めで地域の農民を連れての出兵。西日本の豪族は疲弊し、壬申の乱の勝敗にも影響を与えた。「応仁の乱と足軽」(呉座勇一氏)――。応仁の乱で初めて登場する足軽には「合戦で活躍する軽装の歩兵部隊」と「略奪に精を出す悪党・強盗」の二面性がある。土一揆、徳政一揆にも関連。慢性的な飢饉状態と治安悪化で毎晩強盗が放火。1400年代の京都を襲った土一揆のひどさと、応仁の乱でこれらが足軽となって略奪行為をした。
「オランダ人が見た大坂の陣」(フレデリック・クレインス氏)――。戦場から避難する民衆、焼き払われた大坂の姿。大坂の陣とアントワープの大虐殺。「禁門の変――民衆たちの明治維新」(磯田道史氏)――。京都の大半が丸焼けとなる大事件。長州の潜伏ゲリラを恐れて、会津や薩摩が火をつける。借家がなく、金を貸すものがいない。京都が首都になれなかった理由が明かされる。鉄砲焼けで火の海となった京都と、京都守護職・松平容保による雇用政策(会津小鉄や五条楽園)・・・・・・。
「とにかく生き残らなければならない民衆」の姿、戦乱にも災害にも「生き延びなくてはならない民衆」の姿が浮き彫りにされる。
3日夜、熊谷市で開催された矢倉かつお参院議員(参院選予定候補=埼玉選挙区)の国政報告会に出席、挨拶をしました。これには自由民主党の野中厚衆院議員、富岡清熊谷市長をはじめとする来賓が出席しました。
矢倉さんは、「災害に強い国つくり、被災者を温かく守る制度づくりを進めていく」「中小企業を元気に、農業を元気に、そして埼玉、日本を元気にするため全力で働いていきます」と決意を述べました。
私は「ノーベル医学生理学賞を京都大学の本庶佑特別教授が受賞したが、公明党はガン対策を推進してきた」「子育て支援、高校・大学生の奨学金などの教育支援、働き方改革などの推進、高齢者支援を進め、全世代型社会保障を国の柱としてきたのが公明党だ」「防災・減災、そのためのインフラ整備に全力をあげるのが公明党」と訴え、「どこまでも現場第一、行動第一で仕事が出来るのが矢倉さんだ」と述べました。