「靖国、慰安婦、領土問題」と副題にある。以前の「日本の領土問題――北方四島、竹島、尖閣諸島」(保阪正康 東郷和彦)と「戦後日本が失ったもの――風景・人間・国家」(東郷和彦)の二つの著作が背景にある。「2012年は日本外交敗北の年」「左からの平和ボケと右からの平和ボケと決別を」「慰安婦問題に対する対外発信の誤り(鋭敏なアンテナの必要性)」「世界をリードする、開かれた、新しい日本文明の思想を」――など、重層的に問題を剔抉し、解決の方途を提起する。
相手が何に基づき、何を考えているか。「靖国と村山談話」「河野談話と慰安婦問題」を丁寧に解き明かす。根本的には、新しい日本の国家ビジョン、日本人と現代文明という深層から迫ることができるか否か――提起されている課題は表相ではない。
10月5日から6日、小笠原諸島の父島を訪問し、小笠原諸島日本復帰45周年返還記念式典に参列。現地の実情も視察しました。
戦時中の強制疎開、戦後の米軍統治と、島民の方々が島に帰れない時代が長く続き、昭和43年6月に日本に復帰してから新たな村づくりが再スタートしました。
小笠原諸島は世界自然遺産に登録された(平成23年)美しい貴重な自然の宝庫です。雄大な水平線、すばらしい海の青さは感動的で、若者をはじめ多くの観光客が島を訪れ、人口も増えています。また、海洋国家日本の排他的経済水域の3割が小笠原諸島により確保されており、我が国の海洋資源確保の上でも位置付けは極めて重要です。
5日、自衛隊の水上飛行艇で2時間半(通常は船で片道25時間半)かけて父島に到着。森下一男村長をはじめと島民の皆さんの歓迎を受け、島民の約2割に当たる約470名(子どもからお年寄りまで)が参加したパレード、記念式典、祝賀会と行事が続きました。式典では、私から安倍総理のメッセージを披露。さらに、「小笠原には夢、希望、未来がある。人口も増え、子供も多く活気にあふれている。世界遺産で観光客も増え、大きな魅力がある。交通アクセス改善や防災対策にしっかり取り組んでいきたい」と祝辞を述べました。
6日は、現地で働く国交省、海上保安庁、気象庁の職員を激励、懇談。その後森下村長とともに、世界遺産の希少な動植物を守る取り組みや、小笠原空港建設候補地など島内各地を視察しました。本土から約1000㎞離れているのに空港がないため、急病人の搬送など本土との交通アクセスは大変厳しい条件にあります。空港建設は島民の悲願であり、具体化に向けた検討が続けられています。現地で村長から詳しく説明を聞きました。
離島の生活改善に向けてしっかり頑張ります。
「国づくりを担う若者に直接メッセージを送りたい」――10月4日、地元の北区王子にある中央工学校を訪れ、建築・土木・測量などの専門課程で学ぶ学生に向けて講演しました。中央工学校は明治42年に設立され、田中角栄元総理も卒業した伝統ある専門学校。4年前の100周年の式典には私も出席しました。
東北の復興やインフラの整備、メンテナンスを着実に進めていくためには、現場を担う技能労働者の不足を解決することが大事です。最近は建設業に就職する若者が減少し、専門技術を持つ職人さんの不足や高齢化が深刻なだけに、若者が誇りと自信、やりがいを持って建設業で働いていける環境整備を進めなければなりません。そうした考えで、今春には16年振りに公共工事の労務単価を引き上げ、直接業界に適切な賃金水準確保や保険加入の徹底を要請したところです。
会場のホールに集まった約350名の学生に、「技術を持った若者が減少し、日本の現場力がなくなってきている」、「脆弱国土をよくぞここまで強くしたものだと外国に示すことができるよう、メンテナンスエンジニアリングを構築したい」、「2020年、2050年の日本をつくる主役は、若い皆さんだ」「技術立国、人材立国、ものづくり大国を目指して、日本の底力を示していこう」と話しました。
現場を担う人材育成のために、しっかり頑張ります。
午前中には、「都市緑化キャンペーン」行事に出席し、有楽町駅前で花鉢をお配りしました。
最近、日本語の変化と正しい日本語、その意味するところや起源を解説する本や報道(番組)が多いように思う。
「オートバイ、二輪なのになぜ"単車"」「"大統領"の語源は大工の棟梁か」「"紅葉"と書いてなぜ"もみじ"?」がいきなり出てくる。そして「"奄美諸島"はもう存在しません」「存在しない青山一丁目」「墨田川と隅田川」「朝三暮四と朝令暮改」「"怒り心頭"の頭は"そば、あたり"を表す(達するものではなく発する)」「"オリンピック"を"五輪"と表記したのは誰?」......。
「『"全然"は本来否定を伴うべき副詞である』は"迷信"」――明治・大正期は「すべて」「すっかり」と肯定的表現にも用いられていたが、とくに昭和20年代後半に"否定"が広まったという。「"全然"は"荘子"にも見られる古くある言葉で必ず否定と呼応するわけではなかった」と解説している。
首都直下地震が首都圏を襲い、しかも東京オリンピック開催前後というタイミングだった場合、どう首都圏を守り抜くか――10月3日、その最大の防災拠点となる東京臨海広域防災公園(お台場、有明地区にある)を視察しました。
広さは13.2ヘクタール、それも癌研有明病院を囲むように位置し、大型ヘリコプターが7機駐機できるヘリポートを備え、応援部隊、医療、物資の3部門のコントロールセンターとして機能します。
建物は免震構造で、液状化対策も施されているほか、津波の被害を受けない高さを備えています。オペレーションルームは約960㎡の大部屋で、各機関の職員約200名が一つの部屋で画面を見ながら情報共有することが可能です。機動的な対応ができる機能を備えており、災害対応の要になる重要な施設です。
また、2020年の東京オリンピックでは、有明地区には体操、バレーボール、テニス、自転車などの競技会場が設けられる予定です。全体37施設のうち5施設が有明に設けられ、近隣の晴海には選手村が設けられるため、スムーズなアクセスが重要です。既に、環状2号線や首都高速晴海線などの整備が2015年度開通予定で進められており、新規というよりも今ある計画を着実に進めることが大事です。施設の配置や道路のアクセスのほか、地域の液状化対策、津波対策なども現地で確認できました。
しっかり対策に取り組みます。