「政治家の言葉はこうして一章作れるほどヘンなのである。そして国民は、政治家の言葉と力が日本という国の行く末に重なると思っている。国を任され、国の命運を握る政治家の責務は大きい」「若者の新語・造語の増殖と、広がる速さはすさまじい。昨日流行した言葉が、今日は古典となるほどだ」――。
「汗をかく」「雑巾がけ」「遺憾」「しっかり、きっちり」「緊迫をする、設置をする、来日をする......などの『を』」「お伝え、お訴えの『お』」「~してござます」「認識しております、把握しております」「緊張感をもって、スピード感をもって」「重く受けとめる」「不退転の覚悟」「~させて頂く」「断定回避の『~というふうに』『感じ』」「政治家同士の"先生"」など、とにかく変、そして多い。言葉が違うということは、その社会と文化が違うということだ。とても笑ってはすまされない。
28、29日の土日、青空の下、地域ではいっせいに秋の行事が始まりました。小学校の運動会、子どもを交えての凧上げまつり、施設のバザー、秋の住宅デー、商店街の秋の味覚まつり、消防団点検、そして伝統工芸展・・・・・・。多くの人が集まり実りある行事となりました。
地域の活性化といっても、防災減災といっても、人のつながりが大事です。東京は大都市であるとともに、こうした地域行事が盛んです。
地域の方々のご尽力に感謝です。懇談のなか、要望もいただきました。頑張ります。
杉原千畝の「命のビザ」を持って日本へ逃げのびた6000人のユダヤ難民。しかし滞在期限はわずか10日間。そのままでは「死の出国」が待っているだけだ。これを延ばすとともにナチスの執拗な弾圧を命を賭して救った日本人がいた。小辻(こつじ)節三だ。山田純大さんは世界に飛び、この一人の日本人を掘り下げた。そしてそれを助けた人道の人々がいた。松岡洋右も、神戸から上海に渡ったユダヤ難民を助けたラビ・アブラム・・・・・・。「世界を恐怖に突き落としたホロコーストという大惨劇の中で、ユダヤ人たちを助けようと動いた人たちがこうして繋がっている」――そうした人と人とを繋ぐ運命の不思議さと、屹立した人間群像を山田純大さんは感動をもって世界に飛んでたどっていく。それも素晴らしい。
そして「(ユダヤ難民を助けてくれたとともに)彼の最も大きな功績は、当時ナチスドイツの同盟国だった日本で、ユダヤ人に対する見方を変えてくれたということ」「それは日本人にユダヤ人の正しい姿を知らせただけでなく、ユダヤ難民たちにも日本という国をきちんと紹介したことである」という。

