新聞社を辞めて、フリーのジャーナリストになった太刀洗万智。海外旅行特集の事前取材のために訪れたネパールのカトマンズで、衝撃的な国王をはじめとする王族殺人事件に遭遇する(2001年のナラヤンヒティ王宮事件)。そして偶然、会ったばかりの男が目の前に死体となって転がっていた。自ら尋問を受け、捜索が始まる。記事を書くべきか、生々しい写真を送稿すべきか・・・・・・。緊迫感がどんどん募り、そして意外な結末へ。
「米澤ミステリーの傑作」といえるが、重厚で深さを増しているのは、全体に流れる「王とサーカス」の題名にあるジャーナリズム、記者に内在する「知る」「伝える」という宿命的苦悩だ。「お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死は、とっておきのメーンイベントというわけだ」「お前の心づもりの問題ではない。悲劇は楽しまれるという宿命について話しているのだ」「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」「このニュースを日本に届けたところで、どこかの国での恐ろしい殺人事件として消費されていくだけだろう。・・・・・・ひとときの娯楽として・・・・・・。後には、ただかなしみに晒されただけの人々が残る」「知ることと広めることは話が別だ。・・・・・・伝え広める理由はどこにあるのか」――。そして、釈迦と梵天の「梵天勧請」、孔子の「怪力乱神を語らず」などの哲学を描く。太刀洗万智のとった結末は「踏みとどまった」のだが・・・・・・。苦悩の深さが尊い。
NHKの「あさが来た」に登場する「蒼海を越えた異端児」五代友厚(1835~85)。薩摩生まれ。琉球交易係の父親の影響もあり、ペリー来航で騒然となる幕末、早くから開国論に立って行動する。
いち早く幕府艦千歳丸に水夫として乗り込み上海に渡航。薩英戦争のときには、自ら捕虜となって英艦に乗り込み、英国の上陸を阻止する、藩命を得て遣英使節団として直接、ヨーロッパ文明に接触。グラバーやモンブラン等との交流など、実業家としての手腕は、幕末の志士たちとは異色の活躍ぶりだ。資金なくして幕末も、維新、明治初期は乗り切れない。交易、資本主義の育成、近代化に心を馳せつつ、大阪に焦点を当て、造幣寮開設や大阪商法会議所を設立する。幕府、長州、薩摩等の人脈の激しいツバ迫り合いも読みごたえがある。
こんな職業があったのか、そう思う。「歌うセールスマン」「縁日の露天商」「大相撲のタニマチ」「聞き書き作家」「金魚チャンピオン」「クラウン(パフォーマー)」「コンビニアイス評論家」「銭湯絵師」「宝くじの販売」「農家民宿主人」「フラメンコ・ダンサー」「モデラー(ジオラマ作家)」「屋形船の船頭」――。
「二足のわらじ」を履いているが、いずれも本気で、プロだ。「サイドビジネス」や「小遣い稼ぎ」や「副業」といった生活の臭いのするものではなく、「個人的な"夢"や"理想"、さらにはその人がその人であることを証明する『尊厳』に近いものだ」という。本気と一生懸命で素人を突き抜けた楽しさが伝わってくる。
最後の「今日という日は、残りの人生の最初の日だ」(チャールズ・ディードリッヒ)という言葉が、"体操の見事な着地"のようにビシッと響く。
2日、新春の党街頭演説会を東京・新宿、続いて埼玉・大宮駅前で行いました。
暦はめぐる。60年前の昭和31年は、時代を画する年でした。7月17日に発表した「経済白書」では、有名な「もはや戦後ではない」と、経済成長が近代化によって支えられるというバラ色の展望が示され、日本の国連加盟が承認され、国際社会に復帰した年です。また7月8日には参院選が行われ、公明党から初の国会議員が生まれた年です(公明党の結党は39年で当時は前身)。
私は「『もはやデフレではない』といえる強い経済を築きあげ、財政再建や社会保障の安定・充実に、力強く踏み出すのが今年だ」と主張。あわせて「一億総活躍社会は一人一人が輝く社会だ。そのためには、人手不足社会となっている今、その職場・
業界を3K(きつい、汚ない、危険)ではない、新しいプラスの3K(給料がいい、休暇がある、希望がある)に変えることが大切だ。公明党は現場から庶民の側に立って頑張る」と決意を表明しました。
「安全、安心で勢いのある日本」「参院選勝利」に頑張ります。
