やなせたかしさんが今年亡くなった。「手のひらを太陽に」は今も歌われ、「それいけ!アンパンマン」は毎日、朝のBSで放映されている。いばらず、自慢せず、「人生の楽しみの中で最大最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。すべての芸術、文化は人を喜ばせたいということが原点で、喜ばせごっこをしながら、原則的には愛別離苦、さよならだけの寂しげな人生をごまかしながら生きている」「ぼくは怒るよりも笑いたい」「愛と勇気だけが友達さ、とアンパンマンのマーチでいっている」と語る。
キャラクターをつくる大変さと工夫。スーパーマンと違ってアンパンマンは弱点をもったヒーローだ。しかし、少し優等生。一方ばいきんまんは結構人気がある。どこかガキ大将とか、不良とか、片目の海賊とか愛嬌のある悪人も素適だとウケることがある。
本書の第一章は「正義の味方って本当にかっこいい?」と、?から始まっている。
小説は物語、ストーリーの面白さと思っていたが、この「未明の闘争」は全く違う。あるのは生命の流れだ。その生命の流れが次々と絵巻物のように、しかも時空を飛んで連続する。記憶をエピソードとしてまとめず、自由に生命のおもむくまま飛ばす。思ったのは仏法の法概念。「法とは水(サンズイ)が去ると書くが、目の前の水は既に今あった水ではなく去っていく。しかし目の前の水は常に厳然と絶え間なく流れゆく。無常と常住の十字路に今の瞬間を位置づける。それが中道の生命である」――。その諸法実相の世界を時空を越えて描いたのだと思う。死んだ友人が目の前に現われたり、子供の頃の思い出が突然出てきたり、音楽や哲学がサッと現われたり、家族同然の猫の生老病死が語られたりする。しかもどれも温かい。
「人生の時間の流れに出遭いや出来事が点在するのではなく、出遭いや出来事が起きるそのつどそのつど人生の時間の流れが起こる」「現在とは何十年前であろうと、それを現在状態たらしめようとする記憶装置なんだ」「ジョジョは突然、"アオーン!アオーン!"とカン高い声で激しく鳴きながら、二階に向かって階段を駆け上がった。いまボッコの魂が去ってゆくのがジョジョにわかってそれを追いかけた」・・・・・・。「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」という冒頭の一節から、定番とは違う世界にいきなり誘い込まれた。
「しまなみ海道」を走る自転車の通行無料化が大きく前進しました。「しまなみ海道」は、広島県と愛媛県の間を、瀬戸内海に浮かぶ多くの島々に橋を架けて結ぶ本四連絡橋。地元では「しまなみ海道」という愛称で呼んでいます。橋の部分には自転車と歩行者の専用道が設けられており、美しい海と島々が織り成す景色を眺めながらわたることができます。
2月6日、広島県の湯崎英彦知事、愛媛県の中村時広知事が国土交通大臣室に来られ、「しまなみ海道」の自転車通行料金の無料化について要請を受けて意見交換しました。
「しまなみ海道」は、自転車で瀬戸内海を横断できる唯一のルート。サイクリング愛好者のメッカとして多くの人が集まる国内でも貴重な観光資源です。昨年10月には、国内外から約2500人のサイクリストが参加した大会が盛大に開催されるなど、地元が主体となってサイクリングを核にした地域づくり・観光振興の機運が盛り上がっています。
両知事から、全ルートを自転車で走ると500円かかる料金を無料化する要請を受け、私は「観光資源として極めて有効。両県も努力している。実現に向けて調整する」と方針を示しました。無料化によってさらなる知名度アップと観光客の増加が期待されます。
無料化はこれまで両県の悲願だっただけに、両県知事から明るく感謝の言葉がありました。
木村政彦と力道山の試合は私の記憶に明確にある。伝説の男・木村政彦とはどういう人物であったのか。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」「戦前・戦後、15年間も負けなし、不敗のまま引退した男」「柔道で化物のように強い選手4人をあげれば、木村政彦、ヘーシング、ルスカ、山下泰裕だが、最強は木村」「鬼の牛島がつくった芸術品・木村」「昭和29年12月22日、巌流島の決戦、木村政彦対力道山戦の真実とは」「プロ柔道の旗揚げ」「エリオ・グレイシーを粉砕」「プロレスの夜明けと木村の悲哀」――不器用で荒くれ、ムチャ丸出しの若者・木村の生々しい生涯が活写され、悲しくもなる。
本書は、木村政彦とその師・鬼の牛島辰熊が主役だが、そこに嘉納治五郎、力道山、大山倍達、岩釣兼生らが交差する。いや時代自体が渦のように木村に襲いかかる。
正直面白い。興味深いのは一つに「柔道とは何か」「講道館柔道とは何か」を抉り出していることだ。嘉納治五郎は、古流柔術が廃れゆくのを嘆き、実践的武術、真剣勝負を志向し、たんなるスポーツになってしまうことを憂えたという。しかし、戦後、GHQの下で講道館は「柔道は武道ではない。スポーツである」として生き抜く道を探った。「柔道は1本。最近はレスリングのようになってしまった」というのは違う。元来、武道として真剣勝負としての柔道は"殺し合い""寝技も打撃も"であり、たんなるスポーツではない。それゆえにプロ柔道が立ち上がったという。
もう一つ、興味深いのは牛島と木村の師弟間における違いを描いていることだ。「東條や三船は"政治"をにらみ、石原(莞爾)や牛島は"思想"を見ていた」と増田さんは語っている。日本人、サムライ牛島だ。そして戦後、自らの堕落を絶対に許さぬ牛島と、坂口安吾の「堕落論」「救われるために墜ちよ」という言葉以上に、飲み、喧嘩し、自然体のなかで決定的に"堕落"を生きた木村の戦後という生き様の差異。力道山戦も、その後の失意と放浪もその帰結だと語っている。本書は徹底した取材で描きあげた戦中、戦後の歴史書でもある。
「景気・経済の再生」「東北の復興」「防災・減災・危機管理」を三本の柱として、とにかく遮二無二走った一年。本当に激闘の一年だった。リスクを負ってもやり抜く政治だったと思う。歳川さんは「挫折を通じて辛酸を舐めた安倍氏はリスクを取る政治家に変身したのは間違いない」「現在の安倍首相は、従前の安倍首相ではない。別人格である」という。
自然現象を想定外とするのは、過去の事象を直視しない(したくない)人間の性もあるが、政治は人が成すものだけに、より変数が多い。それだけに政局観には、多くの変数、キーマンに直接ふれて得る皮膚感覚、動態視力、人間観が不可欠だ。本書はその時々の政局を、そのまま載せている。当たりもはずれも当然あるが、むしろそれだけにどう観たかという視点があらわで面白い。それは「どういう人間か」「どういう人材の布陣か」「どう考えて決断したか」という人間観・人物観をもって"チーム安倍"に迫っているからだと思う。その人物観は世界に及んでいる。