この夏は、集中豪雨による水害の一方で、渇水が深刻になっています。7月後半から渇水対策に取り組んできましたが、8月22日、国土交通省の渇水対策本部会議を開催しました。
特に関東の利根川水系や四国の吉野川水系では雨が少ない状況が続いており、全国の9水系で取水制限が行われるなど厳しい状況です。21日には東京でもゲリラ豪雨があり、利根川上流や四国の山間部でも局地的に雨が降りましたが、ダムの貯水率は回復どころか減少傾向が続いています。
22日現在、利根川上流の8ダムの貯水率は46.1%で平年の約6割、吉野川水系の早明浦(さめうら)ダムに至っては貯水率は26.9%と平年の約3割。今後まとまった雨が降らなければ、早明浦ダムでは水道用水、農業・工業用水のための利水貯水率がゼロになる可能性もあり、発電用水などの緊急的な活用も考えなければならない事態です。
水は国民生活や農業・工業などの産業になくてはならない貴重な資源。国民生活への影響が最小限となるよう、全国の渇水状況を注視しながら迅速な対策に万全を期すように指示をしました。
また、22日には、南海トラフ巨大地震への対策計画について中間とりまとめも行いました。地震と津波による被害に対し、あくまで現場に基づいた具体的なリスクを共有し、時系列での行動計画を整理しました。国土交通省は国土の安全保障を担う組織。徹底した現場主義に立って、総力を挙げて対策を充実していくようにします。
9月1日は防災の日。また、これから台風シーズンを迎えます。万全の備えができるよう、引き続き緊張感をもって取り組みます。
最終講義で「私は文明はモノが介在し、文化は精神の表われと解釈している。ですから文明は発達しますが、文化は基本的には原形を保つものと考えている。いわゆる伝統と言われるものです。人類は・・・・・・。同じ年の地球上の文明の様子を見なければならないと。比較文明を研究するために、たびたび地球上を調査しましたが・・・・・・」と吉村さんはいっている。
エジプト考古学者・吉村作治さんは、「教授のお仕事」がいかにさまざまな喜怒哀楽の日常にあるかを軽いタッチで描いているが、そこで感じるのは、人に対する温かさとやさしさ、自然態の姿勢だ。それはエジプトという人類の文化や文明、宗教の源にふれ、悠久の時間軸のなかに身を置いているからではなかろうか。
「靖国神社に祀られている英霊はもちろん、無差別絨毯爆撃で皆殺しにされた無辜の国民、広島・長崎の原爆によって殺戮された一般市民、爆撃を受けて亡くなった産業戦士の人々、勤労動員中に戦禍に遭った中学生など一般市民の戦争犠牲者も含め、先の大戦の全戦没者をお祀りし、慰霊・追悼することが千鳥ヶ淵戦没者墓苑の務めだと考えている。それが国民の総意となったときに初めて、悲惨な結末に終わった大東亜戦争の戦後処理が終わったといえるのではないだろうか」と堀内光雄国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長(元衆院議員)は結んでいる。
本書では、あの戦争が6カ月前に終わっていれば100万人以上の死者が助かった。「戦争終結の遅れ」「広島・長崎への原爆投下」「米軍の無差別都市爆撃」「条約違反のソ連参戦とシベリア抑留」――この4つが問題だ。しかもこれには国際法違反などがある。「靖国」と「千鳥ヶ淵」には、逮捕直前の東条英機自身の発言に始まり、合祀基準、慰霊祭、サンフランシスコ講和条約の直後の吉田内閣の「全日本無名戦没者合葬墓建設会」、それへの抵抗など、いずれも激しい論議があって現在に至っていることが示されている。歴史認識と日本人のアイデンティティを掘り下げる作業である。
満州で生まれて、敗戦後、引揚げるまで14年4カ月を満州で過ごした岩見さん。「もっとも強烈なのは、敗戦を挟んだ1年半の異界体験。敗れたあとも異国で生存の危機にさらされた、筆舌に尽くしがたい辛酸の日々だ」「戦争は何としても避けなければならない。だがもっと避けなければならないのは敗北の悲惨さだ。もし戦乱に巻き込まれたら絶対に負けてはならない。国破れることほど民族にとっての大悲劇はない」「死者数でいえば、満州引揚げで約24.5万人、シベリア抑留での死者約6万人(全抑留者約60万人)を合わせると30万人を超える。ちなみに広島の原爆投下では約15万人、東京大空襲では約8.4万人、沖縄戦では約29万人......。開拓団の比率が高いのはなぜなのか。......原因は大本営と関東軍の"対ソ恐怖心"にあった」――。
「これだけは言っておかねば」「残しておかねば」「恐るべき楽観主義、皮相的な国家経営・安住を排せ」――執念、情念が迫力をもって心のど真ん中に押し寄せる。岩見さんの記述や実姉・満枝さんのイラストが、きわめて詳細なのは、それだけ敗戦後1年半が生死をかけた日々であったということだろう。
ちょうど10年違いの岩見さんと私。思うのは、民族と国家、日本人と日本を思考する時、戦後以降の世代は右も左もイデオロギーに流されがちだが、岩見さんにとってはリアリズムであるということだ。そのリアリズムは、国家の命運と国民生活が一体となって形成されているものだけに、現在の政治と政治家の薄っぺらさと脆弱さが目立ってしまう。そこに苛立ちを感じているのだと思う。「戦争は二度と起こしてはならない」ということはあっても、「戦争には絶対に負けてはならない」という唸り声を伴う情念が今の思想にはないということだ。いわゆる"右"の思想にも"左"の思想にもだ。本書は岩見さんらしい温かさをもって平易に書かれているが、凄さが迫ってくる。渾身の力と魂込めて書かれた素晴らしい本だ。