23日、広島県呉市にある海上保安大学校の卒業式が行われ、出席しました。海の警備や救難などにあたる海上保安庁の幹部養成の教育機関です。全寮制で厳しい4年間の教育訓練を受け、人格・見識・気力・体力を磨いてきた卒業生だけに、凛々しく、式典は感動的でした。海上保安庁の果たす役割はますます大きくなるだけに、私は期待をこめて祝辞を述べました。
また、世界最先端技術の造船所、ジャパンマリンユナイテッド(株)の呉工場を視察。ここは戦艦大和を造った所ですが、巨大なものづくりの迫力ある現場とその技術力を目のあたりにしました。成長戦略、ものづくりの原点でもあるだけに、世界の激しい競争の中で勝ち抜く環境整備をと思いました。頑張ります。
防災・減災は日本だけでなく、世界各国の重要なテーマです。昨日21日、各国との防災協力でEUやタイの主要幹部と続けて会談を行いました。
タイのプロートプラソップ副首相との会談では、昨年の日・タイ首脳会談で合意した「防災協働対話」の早期の開催、タイの治水対策への我が国企業の参画など2国間の防災協力につ
いて意見交換を行いました。
また、EUのシュヴァイスグート駐日欧州連合代表部大使と会談し、日・EU間の防災協力の強化について正式に合意しました。これは、2011年の日・EU首脳会談を受けたもので、来週
の日・EU首脳会談を前にして当局間で合意したものです。
いずれも、防災先進国として日本のすぐれた技術や経験を提供する大きな意義を持つものです。
世界の防災をリードすべくしっかり頑張ります。
ミャンマーの激変は顕著だ。熱い。そして注目されている。2010年11月、新憲法に基づいての総選挙が実施され、2011年2月には国会でテイン・セイン大統領が選出された。軍も民主勢力も国民が求める経済発展を成し遂げなければならず、ともに自己改革を迫られることになる。政治も社会も明らかに激変の兆しがみられる。志向する経済改革、中国とインドにはさまれるASEANからのゲートウェイ。日本に好意をもってくれている大切な国である。
ミャンマーの歴史そのものともいえるアウン・サン、ネ・ウィン、タン・シュエ、キン・ニュン、テイン・セイン、そしてアウン・サン・スー・チー。歴史を紐解きつつ、いよいよミャンマーが新しい段階に入った。今度こそ入ったと元ミャンマー大使の宮本さん(私にとっては中国大使としてお世話になった)が期待を込めてミャンマーを語ってくれている。今年は政府間交流も盛んとなっている。
昨日10日、岩手県を訪れ、達増拓也県知事と懇談、復興に関する要望を受けました。
また、午前11時から行われた「宮古盛岡横断道路 簗川道路 開通式」に出席。「命の道路がやっと開通した」との喜びの声を聞きました。
その後、津波で甚大な被害を受けた宮古市の田老地区を訪れ、防災集団移転促進事業の計画について、山本正徳市長から現状の説明を受けました。被災地では、道路などの基幹インフラは復旧が進んできていますが、遅れているのは住宅とまちづくり。仮設住宅などに住んでいる地元参加者からも、「1日でも早く災害公営住宅に移りたい」との切実な声が寄せられました。
高台移転は、土地の取得等が隘路になっていますが、宮古市田老地区は、岩手県で最も多い285世帯の建設に向けて進もうとしています。
手続きの簡素化をはじめ、できることは何でも支援し、「復興実感」を進める覚悟です。
しっかり頑張ります。