中身の濃い、しかも自由で率直な語らいは面白く、圧倒される思いだ。尊王攘夷、なかでも攘夷思想が、黒船以降、明治をも含めて基調音として奏でられたことがよくわかる。歴史の表舞台に出てくる血気にはやる若者のなかで、バランスがとれ、わきまえた知性・理性をあわせもつリーダーが、煩悶しながらもいかに踏んばったか、阿部正弘、榎本武揚、小野友五郎、立見尚文など好意をもって二人が描いている。
薩長がいつ倒幕になったか。その背後には、それぞれの歴史と地域性と伝統(たとえば直接行動と自己陶酔的な水戸、海のない会津に対して海に接する長州や薩摩より遡れば島津と毛利の出自)、佐幕派勢力の一橋慶喜、会津、桑名の「一会桑」への反発などを描き出す。竜馬のめざした徳川を中心とした共和制と維新を成した人々との違いなど、興味は尽きない。
ITをはじめとして急速に発展・躍進するインドは、アジアの一員としての位置付けを明確化したこともあり、まさに注目の的である。IT産業、医療・製薬産業、中産階級の台頭などはめざましく、インフラ整備、投資の拡大、中小企業育成などが直面する課題となっている。
中国、インド、日本が中心となるアジア新時代に対して、日印交流はきわめて遅れをとっている。リオリエント現象の加速化のなかで、日本の戦略がみえない。
「ヨーロッパの統合が、制度・政治主導なのに対し、アジアの統合は市場・企業主導だ」というように、アジアの経済統合に中産階級大国日本の役割は大きい。製造業のアジアでの分担というよりも、アジア全体で中産階級の台頭、つまり爆発的な消費市場の拡大現象が眼前にあるところにこそアジア新時代の本質がある。とくに、日本のハードとインドのソフトの協力とよくいわれるが、ソフトと文化の面でこそ「ジャパン・クール」の評価を得るという榊原さんの指摘はいい。
テレビに出る榊原さんはほんの一部分で、いつも話をしたり著作を読むと、榊原さんの「日本の文化・哲学性」への洞察に共感する。
まるで息の長い絵巻物のような感がした。知らずしらず喧騒とは全くかけ離れたリズミカルな静寂空間の中に入った。さらにまた、縁と天の世界に入り、「命の波の振動」と宮本輝さんが描く、生死一如、縁起の味わい深い自他不二の世界をかみしめる思いにひたった。見えない世界の律動を観てこそ人の生といえまいか。これらを「にぎやかな天地」というのはにくいほどだ。
勇気ある一念は悪鬼を善鬼に変え、運命を俗流の諦観に押し込めず諦(あきら)かに観る。
軽佻浮薄な衆愚の時代――しかし、その対極に手抜きをせず、じっくり何十年の時間をかけて滋味をつくり出す匠の心技によってつくられた本物の食品がある。こうした日本の発酵食品とそれをもたらす微生物の妙な働きを、縁起の人間の生死の世界に重ねて描く。
慌しい現代社会にはじっくり待つべき時間が欠如している。見えるものに幻惑されて見えざるものが観えない。今に流されて常住の時間をたたえられない。そんなことを感じさせるどっしりした心の作品だ。
現在、日本のガン患者は300万人、年間ガンで死亡する人が30万人を超え、10年後には、2人に1人がガンで死ぬという、もはや、ガンは特殊な病気ではなく普通の病気、身近な病気である。
ガン治療は進歩して、半数以上が治療できているらしいが、残り半数は数年の内に死に至る。
著者がいうには、日本の医療は、この非治癒患者のケアにもっと力を入れるべきという。
体の痛み、心の痛み、社会的な仕事がなくなる、経済的につらい、家族との別れなど、厳しい痛みを和らげる緩和ケアが大切となる。
もう普通の病気なのであるから、治ったら勝ち、治らなかったら負けのような考えでなく、ガンと共存しつついかに人間的に生きるか。まさにガンに立ち向かうことは、「自分を生ききる」ことであり、死に立ち向かう人の生きざまの凝縮だという。
病気を治すことが医療の役割りではあるが、人間は必ず死ぬものである、この認識に立ち、死にゆく者のために何ができるか――緩和ケアは立派な医療の使命である。
告知の是非も含め、人間がどう生きるか、どう死ぬか、こういったことが、根底に問われる。