政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.181 公明正大、透明性ある政治を!/「矜持」と「行動する熱量」を持て

2024年3月 5日

「政治とカネ」の問題が国民の怒りを買っている。自民党派閥の政治資金パーティーを利用し、政治資金収支報告書に「政治資金」を記載しないいわゆる「裏金」問題だ。現職国会議員が逮捕、起訴され、多くの自民党議員が収支報告書を訂正する事態となった。自民党の聴取報告によれば、85人が還流を受け、うち32人が還流を認識、11人が不記載を把握、総額は2018年~22年で57949万円。使い道については53人が人件費、懇親会費や書籍代、手土産代などが報告されたという。自民党が政治倫理審査会などで説明責任を果たし、どう自浄作用を果たすかが問われている。

IMG_2663_123707.jpeg

「政治改革はまず政治家改革」と言われ続け、私もずっと言ってきた。「順法精神の欠如」「皆で渡れば怖くない」「これ位ならという小さな悪の積み重ねの無責任」を指摘する声は多い。全くその通りだ。そのために今こそ政治資金規正法の本来の"規制"ではなく"規正"、つまり「透明性の徹底」が重要だ。政治資金の「入り」と「出」を国民の前にはっきり見えるように開示することだ。世間では、政治家個人の歳費などの収入と政治活動に必要な政治活動費が切り分けられていないところがある。国会議員の政治活動費は、事務所費、秘書や事務員の人件費、諸行事など活動費、広報費など広範にわたる。収入の旧文通費や政党助成金、パーティーなどを含め「入り」と「出」を明らかにする、「透明性」を徹底していくことが大切だ。今こそ公明党の「公明正大」な政治を、日本政治に確立することだ。

更に大切なことは「政治家の矜持」だ。「信なくば立たず」――法制度を創る者としての信頼、そのための高い人格、教養、倫理性が求められる。安倍派の源流をつくった福田赴夫元首相は「政治は最高の道徳」と言い、西欧では選ばれた高い身分の者には、それ相応の責任義務が伴うという「ノーブレス・オブリージュ」が謳われる。欧州文明が押し寄せた1900年前後に「日本人とは何か」「人間道のあり方」を問いかけた内村鑑三の「代表的日本人」、新渡戸稲造の「武士道」、岡倉天心の「茶の本」、牧口常三郎の「人生地理学」など、庶民のなかからの人間道を世界に問いかけたことを今こそ蘇らせなければならない。それなくして「信なくば立たず」を再確立することはできない。まさに、具体的な制度改革以前の前提として、「政治家の矜持」を体することだ。

IMG_6655_123736.jpeg公明党は昭和3911月に結党、今年は60周年となる。当時、日本の政界は自民党と社会党(当時)が、それぞれ派閥争いをし、大企業や労働組合を背景にした政治が続き、庶民、大衆は置き去りにされていた。そうした状況にあって、民衆を守り、民衆の幸福のための政治を誰が担うのか。「公明正大な政治」「民衆とともに歩む政治」をめざして誕生したのが、公明党であり、その立党精神は創立者・池田大作先生からの「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」であった。繰り返される「政治とカネ」等の問題。私は「政治家は権力の魔性とポピュリズム(大衆迎合主義)への誘惑にどう抗するかが試される」と思う。権力を手にし、名を上げると、人を安易に自在に動かせると錯覚をする。ルールを逸脱しても自分だけは許されると調子に乗る。上から目線になり、贅沢にも気付かなくなる。「権力の魔性」に翻弄されがちになる。「清貧な政治」とはいわないが、「民衆とともに」を毎日の政治活動に現場の地域活動に全力を上げることが大事だと思う。

情報氾濫のなか、ポピュリズムへの誘惑は増加する。私は「大衆とともに」の立党精神を基として動くなか、庶民の生活現場に身を置くことの重要性を実感してきた。「現場には空気があり、匂いがあり、優先順位がわかると」というのは災害の時にすぐ駆けつけた私の実感だ。「一次情報に触れること」「伝達され数値化された情報に惑わされるな」も私の実感だ。災害の被災者も千差万別、貧困も介護も千差万別。「森に入り、木を見ること」が重要で、国家の政治・経済を東京で論ずる以前に、現場に入ることだ。「政治は徹底したリアリズム(現場主義)、刻々と変化する状況を直視した臨機応変の自在の知恵である」と思っている。空中戦ではなく、どこまでも政治は生々しい人間の息づかいとともにあり、庶民の幸福を実現することだ。その行動する熱量こそ政治家の魂だ。

現今の政治は「権力の魔性とポピュリズム」の誘惑に堕していないか。「矜持」を今再びもち、「公明正大、透明性ある政治」に踏み出す時だと思う。「大衆とともに」の精神で。

facebook

Twitter

Youtube

トップへ戻る