政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.200 「未来に責任」「信頼の政治」の確立を/「中道」は解決への知恵のダイナミズム

2025年11月 5日

「決断と前進」を掲げる高市政権がスタートした。「強い経済」「責任ある積極財政」「社会保障改革」「安保3文書の前倒し改定」「外国人との秩序ある共生社会」など多くの柱を示している。物価高騰対策など目前の課題に取り組むのは当然だが、ウクライナ戦争やトランプ関税等に顕著な世界の構造変化、人口減少・少子高齢社会、AI・デジタル社会の急進展、気象変動・災害の激甚化、さらに「デフレからインフレへ」「人手余りから人手不足」などの構造変化を直視した中長期的視野に立った政策実現が今の日本には重要だ。ポピュリズムにSNSが加わる「デジタル・ポピュリズム」が席捲する社会であるだけに、威勢の良さではない、「未来に責任」「熟議の政治」を肝に銘じてほしい。

「信なくば立たず」――。いかなる政策を実現しようとしても、国民の「政治への信頼」「政党・政治家への信頼」が欠かせない。自民党の「政治とカネ」の問題は、政治資金規正法などの個別的問題だけではなく、「政治への信頼」をどう回復するのかの問題だ。199910月、自公政権が誕生した。「政治の安定と改革のリーダーシップ」「右傾化・金権へのブレーキ、改革へのアクセル」を公明党は掲げて、直面する政治課題に取り組んできた。連立の維持が「政治の安定」につながると確信し、「責任の共有」「信頼関係の構築」に日々努めてきた。

自公連立政権といっても、党が違う以上、その主張も違う面がある。自民党は伝統的に経済政策も安全保障も全体から見る「マクロの目線」を重視する。一方、公明党は「大衆とともに」との党是の下で、国民一人一人の生活に対する「現場の目線」を重視してきた。この目線の違い、政策的な距離があったからこそ、政権の幅が広がり、状況の変化に柔軟に対応する力となった。日本の政治が「安定」してきたのは、自公両党に違いがあるからこそ、激しい討議が行われ、信頼のなか解を見出してきたからだと思う。

昨年からの衆院選と参院選で衆参ともに自公過半数割れという結果を真摯に受け止め、公明党は「人間主義に立脚した良識ある中道改革の党」として、「国民の政治に対する信頼回復、対立を超えた責任ある政治への役割を果たす」として再出発した。「クリーンな政治」「平和、教育、福祉、環境の党」を磨いていく。「庶民の側に立つ政治」「弱者にやさしい政治」「現場を走る政治」が今こそ大切だと思う。

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「ポピュリズムの誘惑にどう抗するか」が、現代政治の課題だと思うが、SNSが加わったデジタル・ポピュリズムによって、いつの間にか多くの個人情報が集積され、「世論は操作」され「フェイクに誘導」される危険にさらされている。「ポピュリズムはデモクラシーの後を影のようについてくる(英国の政治学者マーガレット・カノヴァン)」というが、「反エリート、反エスタブリッシュメント、既得権益のへの反発」が欧米を覆っている。だからこそ、大事なことは「真偽は現場にあり」「『大衆とともに』の現場に身を置き、一次情報に触れること。庶民の息づかいを感ずるセンサーをもつこと」だと実感する。庶民の苦楽も生活現場にあり、災害も現場で起きているのだ。そして政策はその現場の実感、危機感から生まれるものだ。

私は、政治は空中戦ではなく、現場の力であり、「徹底したリアリズム、現実を直視した臨機応変の自在の知恵だ」といってきた。公明党は「中道」の旗を掲げて進んできた。右と左の真ん中に中道があり、保守・中道・革新(リベラル)などと位置付けがされるが、「相対する両極端のどちらにも執着しない」「偏頗を排する」という意味では中道といえよう。しかし公明党の掲げる中道は、「位置」である以上に、より哲学性を持ち本質的である。本来の中道は、そうした「足して二で割った真ん中」といった中間主義や折衷主義ではない。

中道とは「道に中(あた)る」ことをいう。道とは人間・社会・自然を貫く法則・根拠・本質であり、道義、規範というべきものである。柔道・剣道・茶道など人間の根源、本質に迫る姿勢である。「生命の尊厳」を根拠とし、「民衆の幸福」「平和の実現」をめざし、対立を止揚した第三の解決への道を提示することだ。中間でも妥協でもなく、対立を高次に引き上げ、刷新する。解決の道を提示して合意を形成する。その「解を求め続ける知恵のダイナミズム」が中道ということだ。

構造変化する世界と日本の社会――。この難題に政党・政治家は政治的打算ではなく、「未来に責任」「信頼の政治」へ「知恵のダイナミズム」を捻出して挑戦してほしい。

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