8月21日、公明党中国方面本部(本部長・谷合正明参院議員)の夏季議員研修会が開かれ、出席しました。
今年は、「大衆とともに語り 大衆とともに戦い 大衆のなかに死んでいく」との立党精神が示されて60年――。当時は、大企業や労働組合など大きな組織を背景にした自社ニ大政党対立の時代。世界的にも核をめぐる一触即発のキューバ危機。激変・緊迫のなか、庶民大衆は置き去りにされていました。「庶民大衆を代弁する政治家(政党)はいないのか」との叫びのなかで生まれたのが公明党です。
「政治はリアリズムであり、現実を直視し解決する臨機応変の自在の知恵である」「政治は空中戦ではない。現場こそ戦いの場だ」「現場には臭いがあり、空気があり、(課題の)優先順位がわかる」「立党精神の魂を心中に呼び起こして頑張ろう」と語りました。
22日に公示となった参院選――。23日、札幌に行き、「よこやま信一個人演説会」などの諸会合に出席、公明党への支援を訴えました。
よこやま信一候補(参院選比例区)は、この日、襟裳岬から始まり500Kmを走破して夜の会合に出席、「北海道は農林・水産業の日本の大拠点。国会議員唯一の水産学博士でもあり、海藻を利活用した脱炭素社会実現の仕組み作りなど豊かな海を生かした未来への北海道戦略を進める。北海道の発展のために戦う」と力強く決意を述べました。
私は、よこやま信一候補が「小さなことも大きなことも必ず実現に結びつける人」「北海道の農林・水産、物流、観光、そのためのインフラ整備に仕事をし抜く重要な人」と紹介、絶大なる支援を訴えました。
いよいよ参院選――。22日公示、7月10日投票、重要局面です。16日、神奈川県小田原市で行われた三浦のぶひろ参院議員(神奈川県選挙区予定候補)の時局講演会に出席、「頼れる男」だと訴えました。
三浦のぶひろ参院議員は今、外交・安全保障が重要課題となっていることを説明。防衛大学校の教官(元准教授)時代から教え子たちとともに、平和を願う不戦のために働いてきたことを紹介。また「給付型奨学金の拡充」「がん対策」に全力を尽くしてきたこと、「国民の命と暮らしを守る」決意を熱く語りました。
私は、三浦さんが防災や観光、テクノロジーで数多くの実績を上げたことを紹介。「三浦さんは本当に頼れる男」だと実感を表明。「日本は、経済においても安全保障においても重大な局面になっている。現象の本質を見抜き、揺るがぬ知力、国家的理性をもつ骨太の政治家が不可欠である。三浦のぶひろさんは、今の日本にとって最も大切な頼れる男だ」と訴えました。
念願の日沿道(日本海沿岸高速道路)ができて本当によかった――。4日、「公明党地方創生フォーラム」を山形県酒田市と鶴岡市で連続して開催、日沿道が秋田県境に向かって大きく前進してることに喜びが溢れました。いずれも地元を代表する有力者、公明党の議員・党員・支持者、自民党の国会・県市の議員等、多くの方々が出席。私は「地方創生と公明党の挑戦」の講演を行いました。
酒田・鶴岡の庄内地域は、歴史も文化も産業もある素晴らしい地域。これからの発展を展望すると、日沿道の整備、空港、港湾の拡充が不可欠な課題となり、地元からは熱い切実な要望が続いていました。特に私が国交大臣時代にこの声を受け連携を強化、推進を行ってきましたが、酒田市から北への工区は1年半前に完成、令和8年には秋田県境につなぐことができるようになっています。この日、推進の中心であった新田嘉一会長等の方々と高速道と街を走行・視察しましたが、「便利になったのはもちろんだが、道路周辺の企業やまちづくりが大きく変わった」「本当によかった」との声があふれ、嬉しい気持ちになりました。私は、「インフラのストック効果」「日本経済は緩やかなデフレを完全に脱却する重要な時だ。地域の発展がますます重要」「公明党の地域、庶民に光を当てる戦い」などを語り、間近となった参院選の勝利を訴えました。
いよいよ6月、参院選の公示まで3週間、毎日毎日が貴重な日々です。5月30日、東京で行われた公明党の「くぼたてつや(参院選比例区予定候補者)を応援する会」に出席しました。くぼたさんは、明治大学から公明新聞に入り、記者生活32年。敏腕、かつ人情家です。しかも沖縄で15年、九州支局長10年、中央で政治担当7年の現場主義の素晴らしい人。私は「九州・沖縄は農業・漁業、観光、そして今は安全保障でも重要なところ。さらに防災・減災を九州においてはさらに大きく進めなくてはならない場所だ。くぼたさんの現場をくまなく回ってきた経験と力は大きい」と声援を送りました。
5月27日は伊豆の伊東市で行われた「自民党・公明党合同時局講演会」に出席。公明党の上田勇(参院選比例区予定候補者)、自民党の若林ようへい(参院選静岡選挙区予定候補者)から力強い決意が表明されました。私は上田勇さんが「党内きっての政策通」であることを紹介。「今は歴史の変わり目だ。経済に精通し、米国との関係を強化すべき時。日米を強くつなぐことができるのが上田勇さんだ」と絶大な支援を訴えました。多くの長く付き合ってきた共戦の友と出会い、再び決意しあいました。