「水害の教訓を忘れず災害に強いまちづくりを」――7月13日、新潟県三条市に行き、「7・13水害追悼式典」に出席しました。
10年前(平成16年)のこの日、豪雨で三条市の五十嵐川(信濃川の支流)が決壊し、最もひどいところで2.5mも浸水。市内が泥水に浸かって9名の方がお亡くなりになり、床上・床下浸水が7000戸を超える被害が発生しました。式典には、小中学生を含め多くの市民が参加。「7・13水害の教訓を忘れない」――水害に強いまちづくりに向けた三条市民の強い決意が述べられました。
大災害の後、三条市は国土交通省や新潟県と連携し、川幅を広げたり堤防を高くするなどの河川改修や洪水時に水を一時的に貯める遊水池の整備、避難システムの構築など、徹底して防災対策を進めてきました。その結果、平成23年に再びこの地域を豪雨が襲い、平成16年の1.6倍の量の雨が降りましたが、浸水家屋の被害は10分の1に軽減。効果が発揮されました。
國定勇人市長は、水害の教訓を全国の市町村に伝えるために毎年開催している「水害サミット」の中心メンバーの一人。今年5月には国交省とともに三条防災ステーションを完成させましたが、そこでは7・13水害の教訓を忘れないよう市民が学習できるようにしています。
私は式典に先立って、その三条防災ステーションを視察し、7・13水害の破堤場所に整備された慰霊碑に献花。式典後は、信濃川から日本海に放水路を築いて洪水を軽減する大河津分水路を視察しました。
先週の台風8号でも全国で多くの被害が出ました。ハード・ソフト両面から水害への備えをしっかり進めていきます。
「未来に向けたまちづくりがスタート!」――7月8日、千葉県柏市の「柏の葉スマートシティ」のオープニングセレモニーに出席しました。
人口減少、高齢化で地方では地域が消滅する危機が問題になっていますが、大都市郊外の問題も深刻です。ニュータウンがオールドタウン化して極度に高齢化が進行。地域につながりがない高齢者の孤独化が増えています。
今回、本格的なスタートを切った「柏の葉スマートシティ」は、東京大学や千葉大学、柏市などと連携して三井不動産が開発を進めている地区。駅前にオフィス、住宅、ショッピングセンター、大学の研究機関が集積した、「職・住・遊・学」の新しいまちづくりの野心的な挑戦です。
ここでは「産・学・官」が連携して、「環境共生」、「健康長寿」、「新産業創出」でスマートウェルネスシティとしてのまちづくりが進められています。現地では、スマートグリッドを使ってまち全体のエネルギーを管理するスマートエネルギーセンター、予防型の医療施設が集まった医療ゾーン、国内外から研究者や留学生が集う知的なイノベーション空間などを視察。しかも、広場では子どもたちが元気に走り回り、お母さんたちが楽しく談笑しており、「未来的なまちですが、とても生活しやすいです」と話してくれたのがとても印象的でした。日本どころか世界で最先端の都市を目指しての本格的スタートです。毎日のように世界から視察団が来ているようです。
一方、柏市では、URの豊四季台団地で、建物が老朽化し居住者も高齢化した団地を蘇らせる取り組みを進めています(私は今年1月に視察)。高齢者がいつまでも安心・元気に住み続けられるモデルです。「医・職・住」として、高齢者の雇用も含めた新しい取り組みが始まっています。
7月4日には「国土のグランドデザイン2050」を発表しましたが、未来に向けた新しいまちづくりが現実にスタートを切っています。着実に進めていきます。
「2050年の日本の国土のグランドデザインを!」――7月4日の記者会見で、「国土のグランドデザイン2050~対流促進型国土の形成~」を発表しました。これは、昨年来、総力を挙げて詰めてきたもので、ついに発表となりました。
2050年の国土を考えるに当たっては、日本の直面する課題を直視しなければなりません。 ①急激な人口減少、少子化(63%の地域で人口が半分以下。約2割の地域でゼロ) ②異次元の高齢化の進展 ③都市間競争の激化などグローバリゼーションの進展 ④首都直下、南海トラフ巨大地震など巨大災害の切迫 ⑤ICTの劇的な進歩など技術革新の進展――などの課題を国民が共有した上で、未来を切り開いていくビジョンを描く、これがグランドデザインの狙いです。
このグランドデザインのキーワードは、「コンパクト+ネットワーク」。これにより、多様性を持った地域が相互に連携し、人・モノ・情報が対流する国土をつくっていきます。対流は温度差があって始まります。各都市、各地域が個性を発揮して、違いがあることから対流が起き、連携が始まります。また、コンパクト+ネットワークを、交通革命(リニア中央新幹線、自動車の自動運転、LCC等)、新情報革命(準天頂衛星による高精度測位社会等)により進化させていきます。
このように、実物空間と知識・情報空間が融合した、いわば3次元的な国土構造の中で、人・モノ・情報が対流して新たな価値を生み出す国土――「対流促進型国土」の形成を目指していきます。
さらに、グランドデザイン実現のための基本戦略として、①「小さな拠点」の形成(5000か所程度) ②高次地方都市連合の構築(60~70か所程度) ③リニア中央新幹線の整備による「スーパー・メガリージョン」の形成 ④ユーラシアダイナミズムと災害に強い国土づくりの観点からの「日本海・太平洋2面活用型国土」――などを掲げています。
これからは、このグランドデザインを実現していく段階。広く国民の方々に未来の国土づくりを考えていただくための「日本未来デザインコンテスト」も実施したいと考えています。安全・安心の国土づくりのみならず、経済・社会の活性化、医療・介護等も含めた「スマートウェルネスシティ」など、財政制約も踏まえて、未来に向けて取り組んでいきます。
6月26日から28日まで中国を訪問し、劉延東副首相、李小林中国人民対外友好協会会長、邵※(※=王ヘンに其)偉(しょう・きい)国家旅游局長、王家瑞中国共産党中央対外連絡部長、唐家璇中日友好協会会長と連続して会談を行いました。日中関係は現在きわめて悪く、安倍内閣の閣僚で、北京入りも、副首相級の要人との会談も初めてとなりました。関係改善のきっかけとなればと思っており、意義のある訪中となりました。
劉延東副首相は、1985年11月、副首相が全青連主席として「中国青年訪日友好の船代表団」一行504人を率いて来日。その時、東京で出迎えた青年部の責任者が私でした。会談では、冒頭からその時のことに話しが及び、「理解を深めるには交流、とくに青年交流が大事」との話しになりました。副首相は「日中関係は厳しい難局にあるが、太田大臣の訪中には、なみなみならぬ意義がある」と述べる等、今回の訪中に対する強い期待を示されました。また、両国間の諸問題を解決するためにも、「人的交流を通じて国民感情を醸成し、友好的な民意をつくることが大事」との考えで一致しました。
李小林会長との会談では、日中関係改善のためには、多くの関係者の努力の結集が必要との認識が示されました。
私は観光庁も管轄しており、中国の観光部門のトップである邵※(※=王ヘンに其)偉国家旅游局長との間では、かなり具体的な実りある会談となりました。年間約420万人の双方向の交流人口拡大に向け、両国間で具体的な方策を検討していくことや、日中韓観光大臣会合の早期開催について合意しました。
唐家セン会長や王家瑞中連部長とも「古くからの友人」として、率直、忌憚のない意見交換をしました。
また、約80か国・地域の900団体が参加する中国有数の旅行博、北京国際旅游博覧会を視察しました。会場には多くの人が訪れ、熱気あふれる中、観光庁・日本政府観光局など、12団体が出展している日本のブースは1番人気。「来年は日本のスペースを拡大したい」と責任者が語るほどでした。しっかりとバックアップしたいと思います。
さらに、現地の日系企業の幹部とも会談。事業運営の状況や課題について意見交換しました。
地元の人が「1年で珍しいくらいの晴天」というほどで、いい訪中ができましたが、大切なのはこれからです。



6月25日、群馬県長野原町に行き、八ッ場ダムや生活再建の進捗状況を視察。地元の方々とダム事業やこれからの地域づくりについて意見交換しました。
大澤正明群馬県知事や萩原睦男長野原町長、中澤恒喜東吾妻町長、萩原昭朗八ッ場ダム水没関係五地区連合対策委員会委員長からは、「この日の訪問を待ち望んでいた。ダムの見通しを示してもらい大変ありがたい」「一日も早くダムの完成をお願いしたい」「生活再建も着実に進めてほしい」「下流の都県からこれからも理解と支援をお願いしたい」「地域のために、上信自動車道の整備推進をお願いしたい」と、感謝と要望が続きました。
八ッ場ダムは利根川水系の治水・利水にとって重要な事業。しかし民主党政権になって突然中止が宣言され、地元に動揺が広がりました。その後検証が行われ、平成23年12月に前田国土交通大臣(民主党)が事業継続を判断。私も昨年来、その判断を尊重して関係者の意見を聞きながら利根川の河川整備計画を策定するなど、丁寧に手続きを進めてきたところです。今年度はダムの本体着工の予算もつけられ、本体工事が着工される運びとなっています。
私は昨年1月、利根川水系全体の治水の現状を把握するため、ヘリコプターで八ッ場ダム上空も含めて視察していましたが、今回は現地で代替地や水没する道路や鉄道の付け替え工事の進捗状況を確認。長野原町では水没する川原湯温泉の移転が進むなど、ダム湖を前提とした地域づくりが進んでいます。新しくできた道の駅には、平日にもかかわらず多くの人が訪れており、美しい吾妻渓谷もあるなどこれからの観光のポテンシャルもあります。
苦渋の決断をしていただき、長い間ご苦労をおかけした地元の方々のためにも、ダム事業をきちんと丁寧に進めたいと思います。