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11月1日、奈良県に行き、大規模な土砂災害の防災対策、飛鳥・奈良時代の歴史・文化を活かしたまちづくりについて、視察、意見交換しました。


まず土砂災害。今年も広島などで多くの豪雨災害がありましたが、3年前の平成23年8月、紀伊半島を桁違いの豪雨が襲いました。台風12号により5日間降り続いた雨は、紀伊半島山間部の広い範囲で1000mmを超え(2000mmを超えたところもあります)、多くの山の斜面で深層崩壊(地盤の深い層から根こそぎ崩れる現象)が発生。大量の土砂が集落や川に襲いかかりました。その量たるや、なんと約1億m3。東京ドーム約80杯分で、戦後最大規模です。道路は至るところで寸断されて多くの集落が孤立。土砂が川や渓流を塞いだところでは、天然ダム(河道閉塞)が数多くできました。それが決壊すると下流で二次災害が起こるため、国交省が排水路や砂防堰堤を整備していますが、今でも雨が降ると土砂が流れ込み、その対策は難工事です。


この日は五條市長、十津川村長、野迫川(のせがわ)村長、天川(てんかわ)村長と意見交換。災害当時の生々しい被災状況やご苦労をお聞きし、復旧に向けた要請を受けました。「今も大雨のたびに災害が起きないか心配している」「土砂を取っても取っても次々と流れてくる」「森林を守るために地域に住み続けたい。国交省のこれまでの取組に感謝しており、引き続き復興を支援してほしい」「災害でも孤立しないよう"命の道"である国道168号の整備を」――砂防工事には時間がかかりますが、対策に全力を尽くします。


そして歴史まちづくりについて。明日香村では、森本晃司元建設大臣(地元でボランティアガイドとしてご活躍)や森川裕一村長に案内していただきました。明日香村は約1400~1300年前の西暦600年代に国の都が置かれたところ。聖徳太子や推古天皇、大化の改新や壬申の乱など、数々の歴史の舞台となり、万葉集にも歌われた自然と景観が残っています。その"日本人の心のふるさと"とも言うべき歴史的風土を守るため、昭和55年に制定された明日香特別措置法で村全体の開発が制限されています。


その効果を示すように、実際に村に入るなり景観は一変。懐かしい田園風景が広がり、建物も低く抑えられ、屋根の形や瓦の色も統一されています。村に一つあるセブンイレブンもグレーの瓦屋根で、落ち着いた雰囲気です。古代のロマンを守るために続けられてきた努力が、まちづくりに結実していることを実感しました。


その後、奈良市へ移動。車中からも荒井正吾知事から道路整備やまちづくり、観光などの要望を受け、さらに復元が進められている奈良時代の都、平常宮跡や大極殿等を視察しました。


古代の歴史と文化の魅力を生み出すよう努力していることを実感。観光庁や公園整備を担当している私にとって有意義な視察となりました。

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10月29日、この日は世界の水循環、水災害を考える上で大きな一日となりました。


午後は、皇太子殿下をお迎えして行われた国連「水と衛生に関する諮問委員会」に出席して私も発言。また夜は皇居で、来日しているオランダのアレキサンダー国王を歓迎する宮中晩餐会に出席しました。国王は昨年5月までの皇太子時代、「水と衛生委員会」の第2代議長を務められ、世界の水問題解決に深く関わってきておられます。晩餐会でも、明治時代よりデ・レイケなどの土木技術者がオランダから日本に来て、我が国の河川工学に寄与した実績について、天皇陛下と国王からご発言がありました。


国連「水と衛生委員会」は各国の閣僚経験者や有識者がメンバーとなって、安全な飲み水確保など世界の水資源問題解決に向けた提言を行うためのもので、皇太子殿下が名誉総裁を務められています。この日の会議には20か国から約40人が参加。皇太子殿下のお言葉の後、私が挨拶し、「我が国は今年、水循環基本法を制定して世界に先駆けた取り組みを始めた。治水や利水の大切さを世界で共有し、健全な水循環の確保に向けて行動を起こしていきたい」と述べました。


その後の討論では、アイト議長(元ドイツ経済協力開発省副大臣)が日本の支援と貢献に感謝を表明。ハン・スンス国連事務総長特使(元韓国首相)、シンソン・フィリピン公共事業道路大臣をはじめ、オランダ、コロンビア、ブルガリアの代表者から、「世界で起きている災害の教訓を学んで備えをしていくことが大事」「水循環のガバナンスが重要」など意見表明が続きました。討論の締め括りとして私から、防災の情報を避難に結びつけることの重要性や、今年からタイムラインの取り組みを始めたことなど、我が国の防災対策の考え方と現状を説明しました。


世界の水災害や水循環の問題を共に考えるとともに、我が国の取り組みを示すいい機会となりました。


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「建設業で働く女性を"けんせつ小町"に」――10月28日、建設業の現場で活躍する11名の女性が国土交通大臣室に来られました。建設業で働く女性の愛称を決定したので広めていきたいとのことです。


これまでは"ドボジョ"(土木女子)の愛称が普及していますが、土木だけでなく建築や設備、機械など幅広い職種を指す言葉として選ばれたものです。たいへん親しみやすいネーミングで、建設業界で女性が活き活きと活躍できるということをアピールできます。


私はこれまでも、建設業で働く女性たちとの対談や、女性活用のモデルケースである東京外環の建設現場視察など、取り組みを行ってきました。男の職場というイメージが強い建設業でも、女性がもっと活躍できるようにするための動きが着々と広がってきています。


女性が活躍する社会の実現に向けてしっかり取り組みます。


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「スポーツの秋」「実りの秋」「文化・芸術の秋」――。今秋は雨が多い土・日でしたが、25日、26日は天候にも恵まれ、多彩な行事が行われました。


地元では「北区水辺ウォーク」「区民体育大会柔道競技」「ボーイスカウトフェスタ」、また「板橋市場オータムフェスタ」「足立のとんがりぼうしカーニバル」、さらに北区の合唱祭や長寿を祝う会・・・・・・。


室外に多くの人が出て、いかにも秋の行事。多くの方と懇談をしました。

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東海道新幹線が開通して50年――10月22日、JR東海、JR東日本など鉄道関係各社、新幹線の海外進出を目指す国際高速鉄道協会、新幹線やリニア新幹線を計画する12の国・地域の代表者、新幹線沿線の知事・市長など、多くの関係者が参加した祝賀会が盛大に行われました。


日本政府としては安倍首相と私、そして外国関係者としてはキャロライン・ケネディ駐日米国大使、シーファー元駐日米国大使、サイド・ハミド・マレーシア陸上公共交通委員会議長、チュア・チョン・ヘン・シンガポール陸上交通庁副長官などが参加。祝賀会で私は、「新幹線が開通して50年。"夢の超特急"と言われ、夢と希望と技術水準の高さへの誇りを日本に与えた画期的事業となった。しかも50年間、一人の死傷者も出さなかった安全性と確実性は類を見ないものだ。今、次の夢でもあるリニアが具体的に始まろうとしている。世界の方々とともに、次の時代に向けてスタートを切りたい」と挨拶しました。

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また、午前中は、ワシントンDC~ボルティモア間へのリニア導入を目指している米国の「TNEM社」のウェイン・ロジャーズ会長兼CEO、アドバイザリーボードメンバーのトム・ダシュル元民主党上院院内総務、メアリー・ピーターズ元連邦運輸長官、クリスティーン・トッド・ホイットマン元ニュージャージー州知事、ロドニー・スレーター元連邦運輸長官など、米国政財界に影響のある重鎮の方々と懇談しました。懇談では、リニア導入に向けた同社の意欲的な取り組みや米政府の動向などについて意見交換し、今後の連携の強化を確認しました。


なお、8月22日に行われた土木学会のシンポジウム「東海道新幹線と首都高 1964東京オリンピックに始まる50年の軌跡」での私の発言を、要旨として掲載します。


【発言要旨】

1964年、50年前というのは、私にとっても大変印象的な年である。京都大学土木工学科に入学をしたのが1964年であった。また1964年の6月には新潟で地震が発生し、昭和大橋が落橋した。これが、私が耐震工学を専攻する機縁にもなった。さらに10月1日に新幹線が走り、10月10日に東京オリンピックがあり、それに準備するという形で1962年に首都高が誕生した。そして、オリンピックの後、個人的なことではあるが、11月に公明党が立党した。50年後の今、こういう立場になるとは夢にも思っていなかった。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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