阪神・淡路大震災から20年、東日本大震災から3年10か月が経過しました。改めて、防災・減災対策に力を入れていくことを決意しています。
私はこの20年、防災・減災対策の先頭に立って取り組んできました。阪神・淡路大震災のときも、その後の新潟県中越地震や岩手・宮城内陸地震などのときも、大地震が起こるたびに、その日かその翌日には被災地に入り、現場から政府に支援を求め、対策を訴えてきました。
阪神・淡路大震災当時は、じつは地震計すら十分整備されていませんでした。私が土木工学科で耐震工学を専攻したこともあり、観測体制の充実を国会の場で訴え続けた結果、地震計やGPSなどの整備が格段に強化されました。
また、住宅・建築物やインフラの耐震化にも力を入れてきました。とくに学校の耐震化です。20年前はデータさえない状況でした。私は国会等の場でその必要性を訴え続けてきましたが、ついに昨年、93%までもってくることができました。今は非構造部材への対策に力を入れています。
被災者の生活再建支援では、非常に限定されたことしかできなかった被災者生活再建支援法。その拡充を公明党(赤羽一嘉衆議院議員など)の努力で実現しました。
私は2年前に国土交通大臣に就任以降も、命を守るための「防災・減災、老朽化対策、メンテナンス、耐震化」を柱に進めています。とくに地震対策については、津波対策や、切迫する首都直下地震、南海トラフ巨大地震への対策を具体的に進めています。
20年前の震災で自宅が全壊した被災体験を持ち、東日本大震災後は内閣府復興構想会議議長を務めた五百旗頭真(いおきべまこと)氏は、「災害が頻発するこの国で、"明日は我が身"との助け合いの精神が広く行き渡り、防災・減災対策が国を挙げての最重要政策の一つに押し上げられることを望みたい」と述べています。全く同感です。これからも、防災・減災対策の先頭に立って頑張っていきます。
(写真は1995年、神戸で)

今年3月14日に北陸新幹線が金沢まで開業。北海道新幹線では、来年3月までには新幹線が青函トンネルを越え、新函館北斗までの開業が実現します。それ以降の整備新幹線の延伸をどうするか――。
「3ルートの開業前倒し」という強い要望を受け、14日に政府・与党整備新幹線検討委員会が開催され、(1)北海道新幹線の新函館北斗-札幌間の開業を2035年度から30年度に前倒し(2)北陸新幹線の金沢-敦賀間の開業を2025年度から22年度に前倒し(3)九州新幹線の武雄温泉-長崎間の開業を2022年度から可能な限り前倒し--を決定しました。
大変なのは、財源と技術。課題であった財源については、今回前倒しを決定した3区間の、開業後発生する貸付料の前倒しなど様々な工夫により、必要な約340億円の財源のうち国費を35億円まで圧縮し確保しました。また、必要となる費用は、将来的にあらかじめ予定されていたものを前倒しし、早期かつ集中的に投資を行うもので、新たな負担を生じるものではありません。
技術上の問題については、既に金沢や新函館北斗までの開業で突貫工事が行われていることもあり、土地の取得、橋梁、トンネル、電気設備など困難も多々あります。
私は委員会終了後の会見で「開業の目標年次を明確に示したので、それが達成できるよう最大限に努力したい」と述べました。
新幹線は、地域間の移動時間を短縮し、観光客の増加や企業立地の進展を促すなど、人の流れを大きく変え、地域社会の活性化や地方の創生にも大きな効果をもたらします。
地元は喜びに沸いています。決定後、関係の知事さんからお礼の電話などが相次ぎました。実現めざし、落ち着いて、着実に進めていきます。

今日12日は成人の日。快晴、風の強い日でしたが、地元北区の成人の日記念式典に参加しました。
今年の新成人は21年ぶりに増え、昨年より5万人多い、126万人。阪神淡路大震災が発生し、地下鉄サリン事件がおき、日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さんがスペースシャトル・コロンビア号で宇宙に行った年に生まれた人たちです。
未来を拓くのは青年であり、その青年に希望のもてる社会を創るのが私たちの責務です。とくに雇用。自公連立政権の経済運営によって、高校生や大学生の就職率が大きく改善しています。若者が安心して就職や結婚・子育てができる環境づくりにさらに力を入れます。
また「地方創生」も、若者が地方の担い手として活躍できる職場を提供することが大事です。私は「公明党は若者支援党である」と言い続けてきましたが、今日も多くの新成人と、昨日も建設業の現場で働く若者と懇談しました。
新しい年が始まり、ダッシュしています。
元旦から諸行事に駆けつけ、2日には新宿で党主催の街頭演説を行いました。3日、4日はベトナムを訪問し、ノイバイ国際空港、高速道路、ニャッタン橋など日本が支援した巨大プロジェクトの完成式典に出席。5日からは仕事始め、各団体等の賀詞交換会、地元の新年会などに走っています。
7日は佐賀県に行き、今日8日は国交省の会議や日本鳶工業連合会による木遣り披露、日本電設工業協会、日本ビル協会などの賀詞交換会に出席しました。
いずれの新年会も、出席者が例年になく多く、勢いがあります。景気・経済の再生、防災・減災、危機管理、東北の復興、社会保障制度の安定などに全力で取り組んでいきます。
(写真のニャッタン橋、佐賀県へ行く途中の富士山は私が撮ったものです)
1月3日から4日まで、ベトナムのハノイに行き、ノイバイ国際空港第2ターミナル、ニャッタン橋、空港と市内を結ぶアクセス道路の完成式典に出席しました。また、フン国会議長、ハイ副首相、ズン建設大臣、タン交通運輸大臣との間で、日本とベトナムのインフラ技術協力について会談しました。
4日に相次いで完成式典が行われた3つのプロジェクトは、首都ハノイの表玄関となる国際空港と、都心に至る高速道路を一体的に整備する国家的プロジェクト。式典はベトナムの政府や党、そして工事関係者や住民が多数出席して、国家行事として盛大に開催。ベトナムは新しいステージへ離陸するとの喜びがあふれていました。いずれも日本が資金・技術面で支援し、日本企業が参画して、死亡者ゼロ、工期も前倒しで完成させました。まさに両国の友好・技術協力の象徴で、ベトナムの発展に大きく寄与するとともに、日本の技術を世界に示すものです。
ノイバイ空港のターミナルは、空港の能力を約3倍に拡充し、年間1000万人以上の利用者にも対応。空港から市内へのアクセス道路は、全長21kmの真っすぐ広い高速道路で、所要時間を大幅に短縮。そしてニャッタン橋は、東南アジア最長の全長1500mの連続斜張橋。「日本・ベトナム友好橋」とも呼ばれ、片側3車線で路肩も広く、日本でもあまり例のない壮大なものです。私は一昨年9月にベトナムを訪れた際、建設途中の現場を視察しましたが、今回見事に美しく完成。日本の技術力の高さが示されました。
式典でベトナム側の出席者からは、完成の喜びと、日本の技術力の高さに対する称賛、技術協力に対する感謝と今後への期待の言葉が、繰り返し述べられました。
また、政府要人との会談でも多くの成果がありました。フン国会議長やハイ副首相との会談では、インフラ分野を含むさらなる協力に向けて幅広く意見交換。3日のズン大臣との会談では、北ハノイ地区のエコシティ構想による都市開発や、建設産業の交流による人材育成について、協力を一層進めていくことを協議し、覚書を締結しました。
今回の訪問で、ハイ副首相とズン大臣とは2度目、タン大臣とは5度目の会談となりました。外交は人間関係、信頼関係の積み重ねが力になります。日本とベトナムのさらなる戦略的パートナーシップの推進、協力関係の構築に向けて、新しいステージのスタートとなる意義深い訪問となりました。