いよいよ本日、衆議院が解散しました。解散から12月16日の投票日まで、ちょうど30日間──まさに短期決戦です。全力で走り抜いてまいります。
この衆院選、私は3つの点が問われていると思います。
1点目は、「民主党政権の3年間、日本は、前進したのか、後退したのか」です。
マニフェストは総崩れで"サギフェスト"だったことが明らかとなりました。外交・安全保障も、日米関係をはじめ迷走、東日本大震災の復旧・復興も、遅い、鈍い、心がない。迷走した民主党に、政権担当能力がなかったことは明白です。
2点目は、「日本再建を担うことができるのは、誰か」です。
特に、景気・経済対策は待ったなしです。しかし、民主党は、円高・デフレ対策しかり、雇用対策しかり、まったくの無策。企業の体力は弱り、中小企業、商店街からは悲鳴が上がっています。日本経済を壊した張本人に、日本再建を担うことなど、できるわけがありません。
3点目は、「国民の生活に根を張り、現場の声を政治に反映できるのは、誰か」です。
全国にわたって、地域に、しっかりとした目と耳を持っていなければ、生活者第一の政治は実現できません。「一度やらせてみよう」は、もう、民主党だけでコリゴリ。政治は結果──実際に、何を、どうしたのか、が厳しく問われねばなりません。
思えば、21世紀になって、名目GDPや税収が最も高く、株価も最高値となったのは、2007年、安倍内閣の時。当時、私は与党の代表として、政治の中核を担っておりました。あのリーマン・ショックの後も、エコポイント制度の導入などを実現し、景気を回復傾向に向けることができました。
私は、「金融政策」「防災・減災ニューディールなどの財政政策」「産業支援政策」を総動員して、雇用を生み出し、必ずや景気を回復させます。
国難ともいうべき今、「日本再建」のために、太田あきひろは、我が身をなげうって働いてまいります。
10日、11日の土日、野球、サッカー、ソフトボール、アクアスロン大会など多くのスポーツ行事、華道、茶道、舞踊大会などの文化行事などが行われました。私も合唱に加わったりしました。
先日来、私たちに野菜、果物、花などを提供してくれる東京各市場まつりが連続して行われ、地元の北足立市場(10/21)や板橋市場(10/28)、豊島市場まつりに参加しました。豊かな「食」は生活・文化の基本。「食育」という言葉もかなり定着。安全・安心の「食」の提供がスムーズに活発に行われることはとても大事です。今年の市場まつりでは、どの会場にも福島のブースが設けられ、福島県庁からの職員も来て、「全て検査をしています。流通されているものは全て安全。おいしいです」と訴えていました。今年3月に佐藤雄平福島県知事にお会いした際、「風評も心配だが、これからは風化も心配」と言っていました。大変ななかで頑張っている人を応援する――全てに通じる大切なことだと思います。
頑張ります。
うれしい起工式となりました。秋晴れの11月4日、足立区において、東武伊勢崎線(竹ノ塚駅付近)連続立体交差事業の起工式が参加者の喜びのなかで行われました。足立区、地元地域の方々、国会、都議会、区議会の熱意が実ったものです。いよいよ悲願であった工事に着手することになります。
この竹ノ塚の踏切は、竹ノ塚の東西を分断するだけでなく、ピーク時で1時間のうち58分が遮断される"開かずの踏切"。2005年3月15日、4人の歩行者が死傷する痛ましい事故が発生しました。私は翌16日には国会の衆院内閣委員会で対応を要請、夕方の事故発生同時刻に現場を視察、動きをただちに開始しました。足立区では同年4月に足立区議会鉄道高架化促進議員連盟、9月には竹ノ塚付近鉄道高架化促進連絡協議会が次々と結成され、約22万もの鉄道高架化早期実現を求める署名を集めるなど、課題克服に向けた運動が加速されました。
当時の北側国交大臣、続く冬柴国交大臣、金子国交大臣はじめとする国への要請には私自身常に働きかけを行なってきました。2006年4月の「連続立体交差事業の採択要件の緩和」、2007年4月の「連続立体交差事業の着工準備の採択」は大きな起点となるものでした。何度も何度も国交省と打ち合わせをしてきましたが、7年という異例のスピード、都内初の区施工という形で工事着工の日が迎えられたことはうれしいことです。足立区、地元住民、関係者の方々の並々ならぬ熱意とご協力の賜物です。心から感謝です。事業は、最多箇所で8本ある線路を順番に高架化するという難工事。しかも昼間の列車を止めることなく行う行事であることなど、約10年を要することになりますが、安全第一で、また「線路工事が一本完了するたび、踏切の閉まっている時間が短くなる」(担当者)という喜びも加えて行われます。
さらにこの鉄道高架化にとどまらず、足立区の北の玄関口「竹ノ塚」周辺の街づくりをも視野にいれて行われます。足立区は大学が次々誘致されたり、鉄道網が拡充されたり、学校給食日本一のモデルとなったり、若者雇用へのキメ細かな対策が行われたりと、発展していますが、私はさらに頑張っていく決意です。
スポーツの秋たけなわ。28日(日)も、「柔道」「野球」など各種大会だけでなく、「荒川の水辺ウォーク」「乗馬」など、多くの人がスポーツを楽しむ一日となりました。環境展や清掃工場の内部を多くの人に見ていただくクリーンフェスティバルなども行われ、自然や循環型社会の大切さを学ぶイベントも行われました。
自然の中での環境の秋、文化の秋、そして読書の秋です。27日から読書週間が始まっています。私にとって読書は生命を充実させる読書"習慣"でもあります。学校での朝の「10分間読書運動」「読み聞かせ運動」「ブックスタート運動」「早寝 早起き 朝ごはん運動」「魅力ある図書館づくり」――などに私も党も取り組んできました。
今年は積極的に文化ホールが使えるよう「劇場法」が成立。また11月1日を「古典の日」とする法律が成立しました。源氏物語を著した紫式部の「紫式部日記」で源氏物語に関する記述が初めて登場するのが、1008年11月1日。約1000年前です。しかも今年は古事記編纂から1300年、方丈記完成から800年に当たる年。そんな「古典の日」です。いい季節の秋です。
頑張ります。
10月18日、ノーベル賞を受賞された京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授が、さい帯血国際患者支援の会の有田美智世理事長とともに、公明党再生医療PTに御多忙のなかで出席してくださいました。「iPS細胞研究の進展」と題しての講演でした。また講演に先立ち懇談することができました。
「2007年、ヒトiPS細胞樹立の時、政府の迅速な支援によってここまでくることができた」「今年、造血幹細胞移植提供推進法を成立させていただいた」と冒頭、丁寧な感謝の言葉があり、誠実な姿勢に感銘いたしました。
そして、「iPS細胞とは」「iPS細胞の特徴」「血液や皮膚の細胞からiPS細胞をつくり、それが、神経細胞がパーキンソン病に、網膜、角膜細胞が眼疾患に、心筋細胞が心疾患に、神経幹細胞が脊髄損傷に、血小板が血液疾患に、画期的な再生医療となる」「その再生医療にはiPS細胞ストックが大切」「白血病の治療に必要な、さい帯血からは良質なiPS細胞がつくられる。保存から10年で廃棄されてしまうが、このさい帯血という宝の山をiPS細胞という形で患者さんのために使えないかと思っている。再同意の課題、iPS細胞ストックに関する指針の整備など、具体的な課題解決に協力してほしい」「iPS細胞の研究で、今は世界のトップを走っているが、待っている人のこと、世界競争のなかにあることなどを考えると、一刻も早く移植可能なレベルのiPS細胞を実現したいと焦りにも似た気持ちだ」などと、語ってくれました。懇談のなかで山中教授は「2007年11月のヒト細胞樹立の時は、すぐ支援をしていただいた」と語っていましたが、当時は自公政権。じつはこの支援には歴史があります。
山中教授が、受賞の決め手となった論文が出されたのは2006年8月。ヒトiPS細胞の樹立は2007年ですが、国として「再生医療研究」に予算がつけられたのは2003年。その後6年間で3億円(年5000万円)というものでした。
2008年度でこれは終了。世界から山中教授に「是非来てください。研究費も出します」と、いわば引き抜きが始まっていた時でした。自公政権では、「経済財政諮問会議」と「総合科学技術会議」を戦略の2本柱としており、「総合科学技術会議」は、日本の未来のために「選択と集中」――まさに先端技術開発に力を入れようとしており、私たち公明党はその推進力となっていました。
2008年、「2003年度~2008年度の6年間で3億円」だったものを、この年から一気に毎年45億円以上。さらにiPS研究所をつくることを決定。さらに2009年には、山中教授のチームに今後5年間で100億円規模を、それに加えることを決めました。懇談のなかで語っている国の支援の加速です。私自身、「この山中教授の研究を日本から流出させてはならない」と主張した経緯があり、自公政権時代に財政難にもかかわらず、この科学技術振興費だけは常に増やし続けてきたというのが実状です。
2009年9月、民主党政権となり、科学技術予算は容赦なく事業仕分けの対象となってしまいます。あの、スーパーコンピューターで「2番ではダメですか」という言葉を想起する人も多いと思います。山中教授のプロジェクトも100億円規模が50億円に削られるという残念な結果となりました。それだけではなく自公政権(麻生)の時の2009年度補正予算で「最先端研究開発プログラム」を創設して集中的に力を入れ、山中教授の研究チームも含む2700億円の予算としましたが、それを民主党政権では1000億円に大幅減額してしまったのです。
この日の講演と懇談を通じて、世界の激しい競争のなか、さらにさらに、オールジャパン体制で世界に先駆けての再生医療の実現に国はもちろんのこと、いろいろなレベルでの幅広い支援が大切であることを痛感、決意をしました。
頑張ります。