先日、うれしいお話を伺いましたので、我がことで恐縮なのですが、ご紹介させていただきます。

先日、私の支持者のAさんのもとへ、東京12区地域にお住まいの友人Bさんから"個人的に会いたい"とのご連絡があったそうです。
会うなりBさんは、Aさんに、こう話されたそうです。
「実は3年前、私は太田さんに入れなかった。ごめんなさい」
Bさんは涙ながらに語られたそうです。しかもBさんは、東北の被災地で、私と会ったとのこと。Aさんは驚きました。

20121121.jpg聞けば、ご主人のご両親が、東日本大震災で被災し、体育館に避難していた折、そこを訪れていた私を、ちょうどBさんは目にしたそうです。

"議員でもないのに、一生懸命、避難所の人たちを励まして、働いている姿を見て、涙が止まらなかった。両親からも「あなたの地元でしょ。あんな人を落としてはいけない」と言われ、今度は必ず応援することを、あなたに伝えたかった"
このようなお話だったそうです。
私は、このエピソードを伺って、心の底から感動しました。そして、「行動ほど雄弁なものはない」と改めて思い知りました。

3・11以降、私は十数度にわたって被災地を訪れ、現場の悲鳴を聞き、それを体当たりで政治に反映させてきました。気仙沼ではカツオの水揚げ復活を支援したり、石巻では被災者の短期滞在用に大型客船を誘致したりと、お役に立てた仕事は数多くあります。

しかし、現場の悲鳴が今なお耳に残って消えぬ私にとっては、それも、まだまだ、やりたいこと、やるべきことの万分の一でしかありません。政府・与党の無関心・無策ぶりに、「もっと早く! もっと鋭く! もっと温かく!」と歯ぎしりしてきた日々を思う時、「いよいよ!」との闘志が湧き上がってきます。

「心」を動かすものは、「心」しかありません。そして、政治は、救いを求めている人のためにあります。だから私は、涙や汗から震える「心」を感じるために、現場に行き、人と会います。揺さぶられた自分の「心」が、共に怒り、共に泣き、それが言葉となり、行動となります。"視察"などと気取って「頑張ってください」と言うのが政治家の仕事ではなく、「私が頑張ります」──これが政治家の責任ではないでしょうか。

「行動ほど雄弁なものはない」
だからこそ「政治は結果」だと、私は信じます。

■気仙沼や石巻での取り組みについては、「ピックアップレポート」もご覧ください。
≫NO.1 被災地にカツオが戻った!復興から再建へ 突破口を開く
≫NO.4 被災者を癒やすため 石巻港に短期滞在用の大型客船を!


20121116街頭.JPGいよいよ本日、衆議院が解散しました。解散から12月16日の投票日まで、ちょうど30日間──まさに短期決戦です。全力で走り抜いてまいります。

この衆院選、私は3つの点が問われていると思います。

1点目は、「民主党政権の3年間、日本は、前進したのか、後退したのか」です。
マニフェストは総崩れで"サギフェスト"だったことが明らかとなりました。外交・安全保障も、日米関係をはじめ迷走、東日本大震災の復旧・復興も、遅い、鈍い、心がない。迷走した民主党に、政権担当能力がなかったことは明白です。

2点目は、「日本再建を担うことができるのは、誰か」です。
特に、景気・経済対策は待ったなしです。しかし、民主党は、円高・デフレ対策しかり、雇用対策しかり、まったくの無策。企業の体力は弱り、中小企業、商店街からは悲鳴が上がっています。日本経済を壊した張本人に、日本再建を担うことなど、できるわけがありません。

3点目は、「国民の生活に根を張り、現場の声を政治に反映できるのは、誰か」です。
全国にわたって、地域に、しっかりとした目と耳を持っていなければ、生活者第一の政治は実現できません。「一度やらせてみよう」は、もう、民主党だけでコリゴリ。政治は結果──実際に、何を、どうしたのか、が厳しく問われねばなりません。

思えば、21世紀になって、名目GDPや税収が最も高く、株価も最高値となったのは、2007年、安倍内閣の時。当時、私は与党の代表として、政治の中核を担っておりました。あのリーマン・ショックの後も、エコポイント制度の導入などを実現し、景気を回復傾向に向けることができました。

私は、「金融政策」「防災・減災ニューディールなどの財政政策」「産業支援政策」を総動員して、雇用を生み出し、必ずや景気を回復させます。

国難ともいうべき今、「日本再建」のために、太田あきひろは、我が身をなげうって働いてまいります。


20121112アクアスロン.JPG10日、11日の土日、野球、サッカー、ソフトボール、アクアスロン大会など多くのスポーツ行事、華道、茶道、舞踊大会などの文化行事などが行われました。私も合唱に加わったりしました。

先日来、私たちに野菜、果物、花などを提供してくれる東京各市場まつりが連続して行われ、地元の北足立市場(10/21)や板橋市場(10/28)、豊島市場まつりに参加しました。豊かな「食」は生活・文化の基本。「食育」という言葉もかなり定着。安全・安心の「食」の提供がスムーズに活発に行われることはとても大事です。

20121112.JPG今年の市場まつりでは、どの会場にも福島のブースが設けられ、福島県庁からの職員も来て、「全て検査をしています。流通されているものは全て安全。おいしいです」と訴えていました。今年3月に佐藤雄平福島県知事にお会いした際、「風評も心配だが、これからは風化も心配」と言っていました。大変ななかで頑張っている人を応援する――全てに通じる大切なことだと思います。

頑張ります。


20121105竹ノ塚_1.JPGうれしい起工式となりました。秋晴れの11月4日、足立区において、東武伊勢崎線(竹ノ塚駅付近)連続立体交差事業の起工式が参加者の喜びのなかで行われました。足立区、地元地域の方々、国会、都議会、区議会の熱意が実ったものです。いよいよ悲願であった工事に着手することになります。

この竹ノ塚の踏切は、竹ノ塚の東西を分断するだけでなく、ピーク時で1時間のうち58分が遮断される"開かずの踏切"。2005年3月15日、4人の歩行者が死傷する痛ましい事故が発生しました。私は翌16日には国会の衆院内閣委員会で対応を要請、夕方の事故発生同時刻に現場を視察、動きをただちに開始しました。足立区では同年4月に足立区議会鉄道高架化促進議員連盟、9月には竹ノ塚付近鉄道高架化促進連絡協議会が次々と結成され、約22万もの鉄道高架化早期実現を求める署名を集めるなど、課題克服に向けた運動が加速されました。

当時の北側国交大臣、続く冬柴国交大臣、金子国交大臣はじめとする国への要請には私自身常に働きかけを行なってきました。2006年4月の「連続立体交差事業の採択要件の緩和」、2007年4月の「連続立体交差事業の着工準備の採択」は大きな起点となるものでした。何度も何度も国交省と打ち合わせをしてきましたが、7年という異例のスピード、都内初の区施工という形で工事着工の日が迎えられたことはうれしいことです。足立区、地元住民、関係者の方々の並々ならぬ熱意とご協力の賜物です。心から感謝です。

20121105竹ノ塚_2.JPG事業は、最多箇所で8本ある線路を順番に高架化するという難工事。しかも昼間の列車を止めることなく行う行事であることなど、約10年を要することになりますが、安全第一で、また「線路工事が一本完了するたび、踏切の閉まっている時間が短くなる」(担当者)という喜びも加えて行われます。

さらにこの鉄道高架化にとどまらず、足立区の北の玄関口「竹ノ塚」周辺の街づくりをも視野にいれて行われます。足立区は大学が次々誘致されたり、鉄道網が拡充されたり、学校給食日本一のモデルとなったり、若者雇用へのキメ細かな対策が行われたりと、発展していますが、私はさらに頑張っていく決意です。


スポーツの秋たけなわ。28日(日)も、「柔道」「野球」など各種大会だけでなく、「荒川の水辺ウォーク」「乗馬」など、多くの人がスポーツを楽しむ一日となりました。

20121029_1.JPG環境展や清掃工場の内部を多くの人に見ていただくクリーンフェスティバルなども行われ、自然や循環型社会の大切さを学ぶイベントも行われました。
自然の中での環境の秋、文化の秋、そして読書の秋です。

20121029_2.JPG27日から読書週間が始まっています。私にとって読書は生命を充実させる読書"習慣"でもあります。学校での朝の「10分間読書運動」「読み聞かせ運動」「ブックスタート運動」「早寝 早起き 朝ごはん運動」「魅力ある図書館づくり」――などに私も党も取り組んできました。

今年は積極的に文化ホールが使えるよう「劇場法」が成立。また11月1日を「古典の日」とする法律が成立しました。源氏物語を著した紫式部の「紫式部日記」で源氏物語に関する記述が初めて登場するのが、1008年11月1日。約1000年前です。しかも今年は古事記編纂から1300年、方丈記完成から800年に当たる年。そんな「古典の日」です。いい季節の秋です。

頑張ります。



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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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