政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN
NO.208 今こそ「人間力」「知性・創造力」育む教育を/「デジタル教科書」は紙重視の視点で
この6月、学校教育法等が改正され、デジタル教科書が正式な教科書として位置付けられることになった。小中学校で使用される教科書は、これまで紙媒体に限定されていたが、これからはデジタルな形態を含み得る新たな「教科書」が規定されたわけだ。文部科学省はデジタルを導入する学年や教科などを定める大臣指針を今秋にも策定することにしており、2030年以降から新たな教科書が開始される。新たな教科書は、「紙」「紙とデジタルのハイブリッド」「完全デジタル」の3形態を検討、ハイブリッド教科書はQRコード(2次元コード)を学習用端末などで読み取り、リンク先の動画や音声を視聴する。これまで「紙かデジタルか」を巡って、学力低下などの学習面、精神・健康面等、きわめて多くの課題が指摘されており、制度設計に当たって慎重かつ深い論議が不可欠だ。
デジタル教科書については、教科書代替教材として英語、算数(数学)などでの先行導入事例から「学力が高まる」との指摘もある。しかし、「深く読む力が減退し、浅い読みになる」「書く力が低下する」「情報量や刺激が多く集中できなくなる」など、負の側面が多く指摘されている。デジタルはスクロールによる字面の「流し読み」となって、次々画面が切り替わるため、その場で分かったつもりでも頭に残りにくい。紙の教材の方が、自ら書き込み等を行い、「記憶への定着」と「集中」に圧倒的に優れる。既にスマホに頼る現代人の「書く力」の低下は著しい。手で書くという行為は、頭の中で情報を整理し、考えを構成し、記憶を定着させる重要かつ不可欠な学習作業である。
衝撃を与えた「AI vs 教科書が読めない子供たち」の著者である国立情報学研究所の新井紀子教授は、「学びの本質は読解力だが、今、日本の中高生の教科書を正確に理解する読解力が著しく低下している」「狭い画面のデジタル教科書では集中力や読解力が阻害されてしまう」と警鐘を鳴らす。
米国の神経学者メアリアン・ウルフは、著書「デジタルで読む脳 × 紙の本で読む脳」で、本を「深く読む」ことの重要性を指摘する。そして「紙の本は『深く読む脳』を育むが、デジタルで読む脳は連続で飛ばし読み、斜め読みになり、文書全体ですばやくキーワードを拾い、結論を急いでしまう。短絡的で真の理解ができない」と言う。さらに、見る・聞く・話す・嗅ぐの遺伝子が、人間には遺伝子的にプログラムされているが、文字を読むための遺伝子は備わっておらず、年代に合わせた大人・親からの忍耐強い文字教育があって初めて「読む脳」「深く読む脳」の回路が育っていく。とくに初等教育が大切だと言っている。
その意味で、秋の大臣指針がきわめて重要だが、松本文科相は、完全デジタルの教科書については、「小学4年以下の全教科は認めるべきではない」「小5以上でも国語、社会、道徳の3教科は認めない」と言っている。完全デジタルは当然のことだが、「中高生の読解力が低下している」という現実を正視し、ハイブリッドのあり方についても、デジタルはより慎重に紙の環境を守る教育を切に望みたい。
時代はAI・デジタル時代が加速する。この4年ほどの生成AIは、新たな時代を招来している。社会はタイパ・コスパ、AIアルゴリズム、フィルターバブルとエコーチェンバーがあふれ、フェイク情報に踊らされ、政治もデジタル・ポピュリズムに席捲されている。すでに生成AIは人にとって優しい相談相手になりつつある。AIのアルゴリズムをコントロールできるごく一部のエリートを除けば、人々は思考力が衰え、消費され、翻弄される存在になりかねない。AI・デジタル時代は情報を選別するというより、情報に「流される」というベクトルをもつ。そこにあるのは「受動態」と化した人間だ。
「AIを使いこなす知性を持て」とはよく言われる言葉だ。AIは畢竟、機械であり、「倫理も信念もなく、本物の知性ではない」(西垣通「AI人類学 生成AI時代の超倫理」)、「AI時代に人間が身に付けるべき知性とは何か――AIをたたきのめす知性を」(吉見俊哉「自己との対話」)・・・・・・。
デジタル教科書問題は、「紙かデジタルか」の問題に止まらない。AI・デジタル時代が加速するからこそ、情報に翻弄されない本物の知性を鍛える。脳を活性化させ、読解力、共感力、創造力、対話力、そして人間力をどう育む教育を築くかが重要だと思う。「教育の深さが日本の未来を決定する」――。これは私が2006年、教育基本法改正で衆院本会議で発言した言葉だがますますその思いが募る。































