政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.118 「AI・IoT時代に備えダッシュ/混在の時代」「危機管理」「人間力」の視点を

2018年5月10日

ユピキタス.JPG日本は現在、避けがたい3つのインパクトにさらされている。対応のスタートダッシュは今だ。私が「今年は国家的行事も少ない。仕事をする年だ」と年頭から言っているのはそう考えているからだ。1つは人口減少・少子高齢化の急な坂にいよいよ登ること。2つには、AI・IoT・IT・BT(バイオテクノロジー)・ロボットのデジタル革命の破壊力。3つにはエネルギー制約とエネルギー革命、地球温暖化対策だ。「時間軸を持った政治を」と私が主張しているのはそうした危機感、逆に言えば「チャンスを逃すな」「今やれば間に合う」と考えるからだ。

AI・IoT・IT・BT・ロボットのインパクトを思うと考えなくてはならないことが幾つもある。第一人者の坂村健教授は著作「IoTとは何か」のなかで「今までの日本のICT戦略は、技術で始まり技術で終わることが多い。技術革新から社会革新へ。オープン・イノベーションだ」という。「人工知能と経済の未来」(井上智洋著)では、「第四次産業革命(汎用AI・全脳アーキテクチャ)は、2030年頃から助走を始めて2045年には本格化。2030年頃を境にして、それ以前は"特化型AIの時代"、それ以降は"汎用AIの時代"となる」という。また「文系人間のための『AI』論」(高橋透著)では、「その後人間や社会はどうなるか。AIと共存し、やがて合体して、人間を越えるものになる。ハイパーAIと融合するポスト・ヒューマンだ」と人間存在の根源的問題を突きつける。最近、話題となっているダン・ブラウンの小説「オリジン」でも「進化論と人工知能、科学か宗教か」がメインテーマとなっている。

大事なことは、危機を煽ることでも、夢を語ることでもない。「今やるべきこと」は、今年のダッシュをどうするか、時間軸を常に考えていくことだと思う。

NO.117 10年後の危機を見すえ、働き方改革を加速/建設業の担い手対策をレベルアップ

2018年5月 1日

けんせつ小町①1028.JPG

 建設業は国の礎である。頻発し、激甚化する災害への対応、国民の生命、財産を守り、国土の生産性を向上させる社会資本整備、そのメンテナンス、我が国経済の発展をけん引する都市開発、民間設備投資、さらには住宅建設・リフォーム・・・・。いずれをとっても建設業が持続可能でなければ成り立たない。しかし、日本全体の生産年齢人口が減少するなかで、建設業の担い手については、概ね10年後に団塊世代の大量離職という危機が訪れる。建設業の技能者は、入職してから一人前になるまでには5~10年は要する。対応はまさに「待ったなし」だ。

 こうしたことから、私は国土交通大臣のときに、3度にわたる設計労務単価の大幅引き上げ、社会保険加入促進など処遇改善の取り組みに力を注いだ。担い手三法の制定、女性の活躍促進、そして将来にわたる安定した見通しを示すため、持続的、安定的な公共事業費の確保といった手を次々に打ってきた。この結果、賃金は上昇し、社会保険の加入も進むにつれ、技能労働者の減少に歯止めがかかり、特に新規学卒者の入職は増加に転じた。

 一方で、課題も残っている。設計労務単価は6年連続伸びているが(5回で39.3%)、伸びはこのところ鈍化しており、現場の技能者の賃金は依然として製造業と比べると低い水準にある。加えて、いわゆる賃金カーブを見ても他産業よりいち早く45~49歳で低下が始まっており、若者にキャリアの見通しが十分示せていないのではないか。また、他産業では当たり前となっている週休2日も取れず、全産業平均よりも年間300時間以上長時間労働となっている。働き方改革の必要性が最も強い産業の一つなのだ。そして、現場の技能者の多くがいわゆる日給月給制であり、単純に週休二日にすると収入が減ってしまうジレンマに陥ることになる。月給制への移行は目指すべき一つの方向性であるが、そのためにも生産性向上が欠かせない。長年にわたって形成されてきた建設業の構造問題にまで踏み込まねばならない課題であるが、今後さらに生産年齢人口が減少し、全産業的に人手不足感が強まる中、意欲ある若者の人生を建設業に託してもらうためには、さらに改革を進めるしか道はない。

    NO.116 首都・東京を守る水防災対策のさらなる強化/荒川第二・第三調節池等の整備に着手!

    2018年4月10日

    首都・東京を守る①.jpg昨年の九州北部豪雨、2年前の台風10号等(北海道・東北地方での水害)、3年前の関東・東北豪雨(鬼怒川等の氾濫)など、雨の降り方、台風の動きがどうもおかしい。地球温暖化によって水害が頻発化・激甚化することが心配されているが、すでにその影響は顕在化し、日本のどこで大雨が降っても、どこを台風が襲っても、おかしくない状況になっている。

    私の地元の東京都板橋区、北区、足立区を流れる荒川は、首都東京を守るために約90年前に今の隅田川の放水路として人工的につくられた河川である。もし北区で堤防が決壊すると、その氾濫水は大手町、丸の内、有楽町等の都心部に達するなど、広範囲に広がるだけでなく、2週間以上も水が引かないことが想定されている。そして電気、ガス、上下水道等のライフラインは長期にわたり停止し、地下鉄・地下街が水没、大手企業の本社や金融機関なども浸水し、我が国の経済活動が麻痺する恐れがある。

    国土交通大臣であった私は、局地化、集中化、激甚化するなど雨の降り方が変化していることを「新たなステージ」と捉え、いちだんと強い水防災対策に取り組むことをスタートさせ、ここ荒川でもハード対策・ソフト対策を進めている。

    まず、ソフト対策としては、全国に先駆け、2015年に荒川下流タイムラインを策定した。これは、国土交通大臣時代に、2012年10月にハリケーン・サンディがニューヨークを襲った際、事前に地下鉄を止めるなどにより被害が最小限に抑えられた事例を研究し、日本に導入したものだ。2015年から沿川3区(板橋区、北区、足立区)で運用を開始し、2017年からは16市区に拡大している。さらに板橋区では、要配慮者利用施設の避難に着目したタイムラインの検討を始めるなど、日々深化し続けている。

    NO.115 進む都市農業の振興と保全/2022年問題への準備を確かに

    2018年3月 6日

    都市農業②.jpg都市農業の振興が大きく進んでいる。「大都市のなかで農業を続けたくてもできない。頑張ってきたのに・・・・・・」という声をずっと聞いてきた私にとって、嬉しいことだ。息の長い闘いであったが、農業関係者や国土交通省、農林水産省の努力に感謝したい。

    都市農業を続けるには困難な時代が続いた。高度経済成長期以降の3大都市圏への人口流入に伴い、住宅需要が急増。都市農地は宅地化されて激減した。さらにバブル経済期の地価高騰は農家の税負担に拍車をかけた。そこで1991年の生産緑地制度の改正により、固定資産税の農地課税や相続税の納税猶予などの負担軽減措置が講じられた。しかし、生産緑地では30年という長期の建築制限や、相続税も終身営農し続けないと猶予されないなどの厳しい制限が存在。加えて後継者不足もあって相続をきっかけに農業をやめてアパート経営を行うなど、農地の宅地化は今も進んでいる。

    一方、近年、都市農業や都市農地が果たす様々な効果が注目されている。食の安全への意識の高まりに応えての生産者(顔が見える)からの農産物の供給。地産地消による食育啓発。災害発生時に避難地となる防災空間としての機能。都市住民の農業体験の場。このように都市農業、都市農地は、都市に重要かつ不可欠なものになっている。

    こうした状況を受け、私が国土交通大臣だった2015年4月、「都市農業振興基本法」が制定された。生産緑地を指定しやすくすること、税制を拡充することなど、都市農地には様々な論点があり、複雑にからみあっている。私は、都市農地の保全を進めるべく政策転換することを指示した。そして2016年5月、「都市農業振興基本計画」が閣議決定された。この計画は、都市農業振興のために国土交通省や農林水産省などが連携して取り組む具体策を盛り込んだものだ。都市農地が「『宅地化すべきもの』から『都市にあるべきもの』へ」と大きく位置づけが転換された。

    NO.114 大きな意義もつパラリンピック/バリアフリー先進都市東京へ

    2018年1月31日

    IMG_5160.JPG2020東京オリンピック・パラリンピックまで1000日を切った。とりわけパラリンピックの意義は限りなく大きく、未来に向けて国民意識を変える大きなチャンスでもある。これこそが、最大のレガシーと言えるかも知れない。私は2020東京大会のレガシーとしてメダル獲得や施設の充実だけでなく、「世界一渋滞のない大都市東京」「バリアフリー先進都市東京」「世界一の経済・文化都市東京」をめざそうと言ってきた。とくにバリアフリー水準を底上げし、高齢者・障がい者・外国人が住みよく、訪れやすい勢いのある街東京にするということだ。パラリンピックはまさにチャンスだ。

    「失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」――。「パラリンピックの父」と呼ばれるルートヴィヒ・グットマン博士の言葉だ。ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院でスポーツを通じて生きる喜びや希望や可能性を伝えた博士の言葉で、1948年のストーク・マンデビル大会がパラリンピックの原点となる。ちなみにこの病院はイギリス首相チャーチルが、第二次世界大戦で脊髄を負傷した兵士の治療のためのリハビリ・プログラムをここでスタートさせたものだ。

    パラリンピックの第1回大会は1960年ローマ大会、パラリンピックの名称は1964年東京オリンピックからだ。そして「リハビリの大会」から「競技の大会」へと進展し、2012年ロンドンパラリンピックでは20競技503種目と拡大する。ロンドンオリンピックは26競技302種目で、パラリンピックの競技種目の方が多い。障がいの程度に応じた種目となっているためで、男子100mという種目は13個、車イスバスケットボールでも4クラスある。

    課題は山ほどある。「パラリンピックの環境整備」「ボランティアを含めた人、そして物と資金」「注目度を高めるためのメディアの活用」「キメ細かなインフラの整備」「選手の声を聞いて対応する力とスピード(限界は伸びる)」「スポンサー企業を増加させる取り組み」・・・・・・。

    何といってもパラリンピックの注目度を高めることだ。この一年、とくにテレビ等を通じて、パラリンピアンを取り上げる番組が増えた。地域の諸行事でもトップアスリートとして出席し、感動を与える場面が増えている。これを通じて「障がい者が頑張っているのではなく、スポーツに打ち込むアスリート」という意識変革を行き渡らせるチャンスだ。これから2年余の間に、そうした意識変革と官民あげてのサポート体制を根付かせるために頑張りたいと思っている。ユニバーサル社会、共生社会の実現だ。

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